韓は滅びぬ。

 しつこいと言われるかもしれないが、韓の正統に関して昨日考えた事を更に書き加えようと思う。
 昨日は『史記』における「韓王信」という表記の不自然さやその後の中国史における「韓」号の忌避について語ったが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090827/1251329434)、それ以前から韓は特別な国であった。
 まず前々回(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090826/1251220178)の主題である項籍の旧勢力対策を振り返ってみる。
 項籍は、腹心の范増が酷く怖れていた劉邦への牽制を自分の叔父の仇達に一任し、また主君である義帝の暗殺すら呉芮・共敖に任せている。これが単に無用心だった故なのか悪名を他人に押し付けようとする周到な計算の故だったのかは不明だが、ともかく旧勢力に対しては傍目には最重要級に見える人物が相手の場合でも非常に大雑把な対策しかしていない。
 ところが七雄中の最弱級であったと思われる韓王成には、多少の減封はあったかもしれないものの首都も称号も奪わないという相対的に異例の厚遇をして油断させ、そのまま自分のホームグラウンドである彭城に連行してから自らの手を汚して殺している。項籍らしからぬ万全かつ徹底的な対策である。
 当時の常識において、韓王だけはそう簡単には称号を奪えない存在だったのではあるまいか?
 更に時代を遡ってみる。
 始皇帝暗殺未遂犯としては、荊軻・高漸離・張良の三人が有名である。荊軻による事件は、天下統一直前にそれを阻止するために行われたものである。高漸離の動機は、荊軻の仇討ちという個人的なものであった。独立運動の一環として始皇帝の命を狙って成功しかけたのは、韓の残党の張良だけだった。
 これは単に偶然だった可能性もある。しかし末期の韓王国領の他国と比較しての狭さや秦の都咸陽からの近さから考えて、この地の残党からのみ独立を目指す暗殺未遂犯が輩出されたのが偶然であるという可能性は、相当低そうである。
 やはり当時、「韓だけはまだ本当に滅んだ訳ではない!」だの「燕・斉・趙・魏・楚はともかく、韓が存在しないのは違法!」だのといった観念が広く存在していたのではあるまいか?
 ここからは完全に私の想像だが、始皇帝は韓に限ってはその正統性を示す物品の回収または破壊に失敗していたのではあるまいか?そして韓王信は、その物品を保持したまま匈奴の地に去る事に成功したのではあるまいか?
 余談だが、韓国が併呑された場合にはまずは皇帝が馬車に乗っている時に命を狙ってみるという張良独立運動の手法は、後に李奉昌に受け継がれ・・・(嘘)