国民審査とインターネット

 昨日の選挙に関する感想を語っているブログは多そうなので、私は最高裁判所裁判官の国民審査の感想を書こうと思う。
 小中学生の頃、社会の授業で国民審査はほとんど形式的で欺瞞的な制度だと教わった。
 そして実際に当時はそれが妥当な見解であったと私も思う。法曹関係者でもない限り、一々あの裁判でこんな補足意見を述べたのは誰だのといった情報を入手・保存して次の国民審査に備えている様な人材は、当時はほとんど存在していなかったと思われる。
 よって「日本国憲法第79条2項はさっさと改正し、法曹関係者のみで行う審査も併設せよ!」というのが、私の長年の持論であった。
 しかし本日私は、審査に行く前にインターネットで審査対象者達の過去の諸判決での立場をざっと復習出来た。この現実の体験が前述の持論を打ち砕いた。今後も情報が充実していけば、徐々に国民審査の実質性の度合いも高まっていくだろうと思ったのである。
 この一件に限らず、過去には形式的な制度であったものが科学の発達その他の事情で実質性を帯びていったという例は数多いと思われる。
 だから北朝鮮選挙制度への評価についても、先進諸国の現行制度と比較対照して蔑視するだけでなく、民主主義の萌芽的制度として生暖かい目で見守るという態度も併用していきたいと思う。