「れい新」と「N国」はポピュリズムの要素が濃厚だと思う。しかし民主主義を砕く波としての側面よりも、防波堤としての側面の方が強いと思い、感謝している。

 世間では既成政党の支持者からの「れい新」と「N国」への風当たりが強い。ポピュリズム政党だとして批判の対象とされている。

 かくいう私も、既成政党のほうが好きであり、「れい新」と「N国」が大衆扇動型の政党であると分析しているうちの一人である。

 にもかかわらず、皮肉ではなく本当にこの二政党には感謝している。

 そもそも遡れば、小選挙区制が導入された時に既存の政治全体に絶望する人が増えることは予想されていた。

 一般論として、小選挙区制になれば名目はともかく実質において世は二大政党制に近づく。しかもそれは内部の多様性の少ない二大政党である。その流れに抵抗をすると、選挙では自動的に勝率が下がる仕組みだからだ。

 そして日本でも紆余曲折はあったものの、そうした傾向は着実に強まっていった。右派については、郵政民営化を通じて自由民主党内の多様性は減り、さらに自公連立の長期化により両党の立場が徐々に似通ってきている。左派も既成政党は野党共闘を通じて徐々に似たり寄ったりの存在となり、あの日本共産党ですら立憲民主党との差異を減らしてきている。

 こうなると、「X党内の異端児が俺の主張を代弁してくれている!」という満足をする人の数が徐々に減っていき、既存の政治に背を向け始める。

 既存の政治に見捨てられ絶望した人の中には、違法な政治改革集団に期待する者が必ず出てくる。そこまで極端ではなくても、そうした違法な団体から民主政治という枠組みを守り抜こうという積極的意思を失ったりする。投げやりになって怪しい政党に投票する形で政治全体への不信任票を投じ始めたりする者も出てくる。

 そうした人たちの票や資金を一つに纏めて巨大な力を作ろうとしたのが、外山恒一氏の「あの」政見放送であった。余りにその意図が露骨だったのと、政策面が弱かったのと、東京都知事選には不満のはけ口が他にも多々あったのとで、大した票には結びつかなかったが、全国でかなり好意的な形で有名になった点では、一定の成果を挙げたといえよう。

 この種の票や資金を国会に回収しなおしてくれるのが、ポピュリズム政党なのである。到底疎かにはできない。

 幸福実現党の比例票が前回の四割も減ったという話は、数日前に書いた。この四割減という数字は、母体である教団の衰退の速度と比しても異常な程大きい。おそらくは、「既存の政治にノー!」という意思を込めて消極的に投じられていた票を、「れい新」と「N国」が奪ってくれたのであろう。

 だから私は「れい新」と「N国」にまれにカルト要素を見出しても、「外山恒一氏や大川隆法氏が一つに纏めていたかもしれない既成政党への不満を、わざわざ二分割した上で、自ら咀嚼し消化してこんなにも薄めてくれた人たちだ」という感謝の念が浮かんでくるのである。