民主集中制を思う

 日本共産党民主集中制について、実際に何らかの被害に遭った人の体験談は非常に重みがある。そういう人には、今後とも大いに情報を選挙民に発して欲しいと心から思う。
 しかし一方で私は、自分どころか身近な友人すら一人も被害に遭ってない人が民主集中制は怖い怖いと安易に連呼するのを見ると、到底応援する気にはなれない。
 その理由の第一は、自分に被害が無い限りは、民主集中制の政党とそうでない政党の両方が在った方が選択肢が増えて便利だからだ。
 理由の第二は、この問題で安易な批判をすると、明日は我が支持政党に返ってくるからだ。
 こう思うようになったのは、確か郵政民営化が決まった直後のアメリカの雑誌の記事を読んだのが切っ掛けだったと思う。
 その記事は小泉純一郎氏を概ね褒め称えつつ、「「自由」で「民主的」な党から造反者を追放したのは良くない。」とも主張していた。
 私はこう反論したかった。「成程、確かに貴国の様なほぼ完全な二大政党制の国では、党議拘束を緩めねば民主的な議会運営は不可能だろう。だが我が国には緩衝材として叛服常無らぬ中小政党が数多く在る。この程度の強さの党議拘束、寧ろ派閥政治解消のメリットの方が大きいわぁ!」
 だがその直後に、「似た様な発言を他党の支持者にぶつけたくてたまらないでいる日本共産党員も結構居るかもしれないなぁ・・・。」と、思いを馳せたのである。
 そういう訳で、「日本共産党民主集中制は独裁的で怖いですねぇ。」と言う場合には、自分の更に背後に「日本の諸政党の重い処分を背景にした強い党議拘束は独裁的で怖いですねぇ。」と言うアメリカ人の存在を想起してからにした方が良い、と提案する次第である。