1.「起」の章
幸福実現党をマスコミがほとんど報道しない件については、多くのシンパが「マスコミが報道しないから票が伸び悩んで、悔しい」と語り、多くのアンチが「マスコミが報道しないから票が伸び悩んで、嬉しい」と語っていた。
私はその風潮に抗して「マスコミが報道しないからこそ危険なのだ」と叫び続けたのだ。昔と違って今はマスコミに報道してもらわなくてもインターネットというものがあるのだから、「まだ権力は無いけど金や知名度は既にある」タイプの諸派をもっと監視すべきだと考えたのだ。
しかし「悪名は無名に勝る」という諺とともに、業界では有名らしい外国の選挙の例等を出されたりして、沈黙を強いられてきた。
仕方なく個人の立場で幸福実現党の有力者の言動を数年間批判し続けたのだが、連帯出来たのは母体である教団がそもそも嫌いという人ばかりであり、残念ながら党でのみ有力な大江康弘氏の情報等は全然入ってこなかった。
2.「承」の章
そんな中、万民を納得させられる証拠が一気に二つも出来上がった。「れい新」と「N国」である。
「れい新」については、原発や消費税に反対して障がい者を重んじる姿勢から、当初は「何となく左っぽい」と思われていた。しかし当選者の第二次世界大戦に関する歴史認識が寧ろ右寄りであったりしたため、「左っぽさ」に期待して投票した人から今や失望の声が上がっている。
「N国」については、NHKに自由競争を強いる態度から、当初は「何となく資本主義っぽい」と思われていた。しかし当選後に民放やその広告主である民間企業を攻撃し始めたため、「資本主義っぽさ」に期待して投票した人から今や失望の声が上がっている。
これらこそ、「事前にもっと党の情報が知られていれば、寧ろ票が減っていたかもしれない」事例として最適であろう。
今やマスコミが諸派について批判も賞賛もしないことは、「無名」なんかではなく、「本人たちの自画自賛のみが流通する」状態を意味するのである。
3.「転」の章
ネットでは既成政党の支持者がそうした後悔をしている人に対して「ちゃんと調べてから投票しろ!」と説教をしている姿が見られるが、これには到底賛同出来ない。
既成政党の支持者が酸いも甘いもかみ分けた上で「後悔しない」投票を出来たのは、「大人だったから」というより、その党の良い情報も悪い情報も氾濫していたからであろう。
むしろ「れい新」と「N国」の大まかな主張だけでも知って投票をした支持者の平均のほうが、世間の平均より「政治に関心がある」可能性が高いぐらいである。
ではマスコミが諸派も監視すべきかというと、そうもいかない事は良く分かっている。
まずマスコミは商売である。諸派を監視してもその成果に金を払う者が少ない。そして金がなくなれば肝心の既成政党への監視の力も衰える。加えてテレビは放送法で中立が義務づけられているので、議席等の客観的かつ機械的な数値を元にリソースの振り分けのための内部基準を作らざるを得ないであろう。
4.「結」の章
そうなると、残るは身軽な諸個人が積極的に諸派を監視するというのが、一番現実的な結論になりそうである。
ネットが産んだ不当なビギナー優待制度を、ネットの力で解決してしまおうではないか。