日本の選挙におけるアファーマティブアクションについて考えた。

 「国会議員の少なくとも50%を女性にすべき!」という有名な主張がある。「能力の保証は?」・「民意は?」・「性的マイノリティをどう扱う?」等、問題点は幾らでも列挙出来るが、本日本題にしたいのはその内の一つだけである。
 今回検証したいその問題点とは、選挙民を区分けする手法は性別だけではないという事である。以下、しばらく思考実験を要約して紹介する。
 一つアファーマティブアクションを認めたならば、直ぐに次に採用されるべき区分が提唱されるであろう。例えば「貧乏人の気持ちは貧乏人にしか解らない!」と言い、「国会議員の少なくともX%を、年収A円以下の世帯の人間にすべき!」と主張する事が可能だ。これで候補者の出身区分は少なくとも四つになる。年収については更なる細分化が可能であるし、他に年齢・人種・背の高さ・病歴等で幾らでも出身区分を分けられる。どんどん中世の等族議会じみてくる。
 そうこうする内に、ついに人口比を議席数に当て嵌めた時に0.5名以下となる集団が出てくる。これらをどの集団同士で連合させるかを、果たして権力が勝手に決めていいのか、という問題が出てくる。それならばいっそかけがえのない個性を持った各個人が選挙の度に自由に合従連衡した方が良いのではないか、という話になる。
 では、「結局現行制度に戻ってきたから、やはり選挙にアファーマティブアクションを導入するのは馬鹿馬鹿しいと判った!」という結論に至ったかというと、そうではない。実はこの思考実験の最終結論の状態は、現行制度とは全く違う。「戻ってきた」と思い込んだ人がいたなら、ある伝統的なアファーマティブアクション運動が余りにも強固なので、その成果に気付いていないだけだ。
 その強固な運動の正体とは、「地方区」によって達成されている、「国会議員の少なくともY%をB県民にすべき!」というアファーマティブアクションである。これについてはほとんど問題になる事は無く、そもそもアファーマティブアクションだと気付かれてすらいない。
 「女性区」・「貧困区」・「老人区」・「アイヌ区」・「長身区」・「成人病区」等を作ろうとすれば、非常に強固な反発が予測されるのだが、「地方区」だけは厳然として人気を保っているのである。
 集計の手間等を考慮すれば、これは理の無い事とも言えないのだが、理論上は他の分け方と同格である事を弁えておきたいものである。