「官打ち」の本来の意味は、「不相応に高い官位を与えて過労死させる」ぐらいの意味だが、この記事では意味を比喩的に拡大して使う。
石原慎太郎は、都知事を三期務め、四期目の途中で国会議員になるために辞職した人物である。
一期目は様々な物珍しい政策を大声で宣伝するという、大衆迎合型の政治を行った。そして一部の熱狂的なファンの支持に頼っていた。
しかし二期目からは目立つ活動を控え始めた。あくまで一期目との相対評価だが、地位・名声・実績が定着するにつれて、「極端に好かれない代わりに、極端に嫌われない」という態度を重視し始めたようだった。これはかつての熱狂的ファンからは残念がられたが、良質保守からは歓迎された。
二期目以降における左派のアンチ石原陣営の言動は、当時の私には、この変化についていけていないでいるようにみえた。「トーキョーで、危険なナショナリストが、大衆を扇動している!」とずっと言い続けている人達の言動は、「今の石原なら極端な失政はあるまい。」という消極的理由で都知事を支持している人達の心を掴めないでいた。
だから左派は都知事選で負け続けた。私は「現状分析からして間違っている連中が勝てる筈がない。」と思っていた。
また「消極的支持で命脈を保っている相手の背後に、積極的支持者の亡霊を見出すのは、自分達が消極的支持すらされていない事を認めるのが怖いからなのだろう。」とも思っていた。
そして「『老子』を読め。この問題の全ての答えはそこにある。」と思っていた。
だが驚いた事に、この左派的に歪んだ世界観を、次第に当の石原陣営自身が信じ込んでしまったらしい。二期目以降、『老子』的な老獪な支配をしていた石原慎太郎が、第四期の選挙結果から自分を人気者だと錯覚したらしく、ナショナリズムを前面に押し出した政党を作って国政に身を転じたのである。
その後の凋落は、説明するまでもあるまい。
「最近はナショナリズムが流行ってて危険だ!特に石原慎太郎は熱狂的人気を集める独裁者だ!」とギャーギャー喚くという、一見『老子』と正反対に見えた行動が、「相手を驕らせた挙句に戦わずして勝つ」という老子的戦術に実は合致していたのである。
勿論、ここまで見越して騒いでいた左派の政治指導者は、十人中一人もいないだろう。
だが『老子』の政治的応用は一通りではない事をこの顛末から私は十分に学んだし、同時にまた如何に『老子』が奥深いものであるかも学んだのである。
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