排外主義的世界観を持つ人の中から外国人参政権賛成派が出てこないものか?

 参政権は革命権を吸収する。参政権を与えるという決定は、それまで武力革命を目指していた人々の多くに方針の転換を促し、その後に武力革命を起こした連中から正当性を奪うのである。
 「完全に有能で公平な独裁なら、確かに民主主義より効率が良い。」と思っている人は民主主義者の中にも多いが、私は上述の武力革命の防止の観点からこの主張に疑念を抱いている。
 最大多数の最大幸福のために既得権を奪われたり奪われそうになったりした人が、どれだけ潔く自分の利益を諦められるかを考えてみる。民主制なら、損をした人は「A党をもっと応援しておくべきだった。」だの「B党を応援しすぎてしまった。」だのという後悔の念を持ってくれるだろう。だが独裁制なら、国民までもが理想の独裁者と同じく有能で公平である場合を除き、強い逆恨みの念を抱くであろう。
 例えば、明治維新政府は、もしも予算が無限に近い程有ったなら、征韓論を採用して不満分子を朝鮮に送り込む事が可能だっただろうし、あるいはまた西南戦争が何度起きてもその度毎に叩き潰せただろう。だが予算が有限だったから、そして恨まれても平気な様に江戸幕府を倣って人や物資の移動を制限していては列強に飲まれてしまうから、苦渋の決断として民選議院を設立したのである。
 さて、現在外国人参政権の実現を目指す勢力に属する人のほとんどは、外国人に対して融和的である。そして実はだからこそ、実現のメリットを聞かれても反対派を説得出来る様な理論を展開出来る人は稀なのである。
 そこで、議論をより深めるためにも、排外主義的世界観を持つ人々の中から、この革命権の吸収という観点から外国人参政権を推進する人が出てこないものかと、少々期待している次第である。
 すなわち、災害時等における外国人の武装蜂起を本気で恐れたりしている人の中で、外国人を追い出したり武装蜂起対策として警察力を増強したりするための増税もまた厭だと思っている人が、「ガス抜きのため、彼等に選挙権を!」と叫び始めないものか、と思うのである。