正統性の低さの逆用

 朝鮮の民話を調べ始めた頃は、太祖李成桂の評判の悪さに驚いたものである。王朝の初代への風刺がよくもまあ数百年間密かに語られ続ける事が出来たものだと思ったものである。
 しかしながらその後も李朝の歴史を調べ続けるにつれ、李成桂批判は意図的に黙認されていたのではないかと思い始めた。
 まず一つには、建国の功臣の子孫である「勲旧派」の勢力を削ぐ事が出来る。国王としては、自分の先祖を謀反人呼ばわりされる事の不快感を我慢しさえすれば、自動的に集権が可能となる。そして勲旧派に対抗する士林派は、いくら全体として台頭しても一家一家の権勢には限界があるし、しかも在地勢力出身の儒者が主体であるだけに思想や地縁によって分裂させやすく、王権にとっては勲旧派程の脅威ではない。
 第二に、次の簒奪者の登場の防止にも役立つ。「王位を簒奪した李成桂は却って不幸になりましたとさ。」という話を流布させておけば、次の李成桂を目指す者を減らせる。高麗王家はどうせ滅んでいるのだから、李成桂批判を名目にした反乱の方はさして心配する必要が無い。
 明治維新政府が南朝正統論を採用した動機としても、これに似た計算があったのかもしれない。
 現代日本の一部の護憲論の中にも、類似の構造を見出せる。