事業仕分けと天皇機関説

 事業仕分けで、多くの研究が潰されかかっている。
 この波に憤慨している研究者達を見ると、抵抗の仕方が下手な人が多いという感想を持ってしまう。別にそうした傾向を批判する積もりも無いが、勿体ない事だとは思ってしまう。
 まずは自分の研究が如何に世の中の役に立つかを、民衆の代表である政治家に丁寧に説明すべきである。相手が聞く耳を持たなくても、その姿勢は全国に報道されるだろうし、次は民衆に対して直接情報を発信するという手もある。
 学問の予算に関して民主的統制を強める事が正しいことか否かはまた別に議論されるべきであろうが、今か近未来において現実に予算が欲しいのであれば、ともかく実際に権力を持っている勢力をどう動かすかという事を冷静に考えなければならない。
 仮にこの事業仕分けを端緒に日本が急速に衰亡したとして、政治的責任問題として追求されるべきか否かはさておき、少なくとも因果関係としては、研究者達の自分の研究の有用性を世に知らしめる事の拙劣さも衰亡の原因の一つとして指摘されて、後世への教訓にされねばなるまい。
 因みにこの「後世への教訓」は、実はもっと早くに日本の学者は得られた筈なのである。
 例えば美濃部達吉の学説の命運からも得られたのである。天皇機関説はエリート層の間では通説であった。だが大衆はそれを理解出来なかった。そして美濃部自身もその台頭に重要な役割を果たしたデモクラシーが、美濃部の学説を権力を用いて滅ぼしたのである。もしも美濃部が大衆に力だけでなく知恵をも与えようと努力していたら、また違った結果になっていたかもしれない。
 第二次世界大戦において日本軍が科学技術を軽視した話も、様々な媒体で厭と言う程強調されているが、日本の科学者が軍人を説得出来なかったという形では何故か語られない。
 何もかも軍部のせいにして、失点の発生の詳細な因果関係を冷静に検討して真摯な反省をしなかった事こそ、今日の事態を招いたと言える。
 衆愚からの理解を求める暇が有ったらその時間も研究し続けるという姿勢が、一個人の生き方としてそれなりに美しい一つの典型をなしているのは勿論の事である。だがそれに伴うリスクを理解していない事は、一つの無能さである。