東文研第9回公開講座に行ってきました。

 「東文研」といっても、虚偽・矛盾・剽窃をしばしば指摘されている某ライター所属の株式会社だか何だか判らない謎の組織の事ではなく(参照→http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090908/1252396974)、東京大学東洋文化研究所http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/front.shtml)の事です。
 ちょっと面白い小事件が起きたので、一応報告したいと思います。
 最初の講義は松田訓典氏による仏教関連の話だったのですが、質問者の中に健啖な御老人がいました。大声で早口だったためかマイクが音を拾ったり拾わなかったりで、しかも本人だけがその事に気付かずに話し続けたので、ほとんど聞き取れなかったのですが、どうやら「仏教は上座部とか大乗とか色々在るけれども結局どれが正しいのか?」という意味の質問をしたかった様です。
 松田氏は自分の学問がその種の問いに答えるタイプのものではない事を説明し、その直後に司会とマイクの運び手が賢明な判断をして件の御老人の質問を強制的に終了させました。
 きっと本人にとっては求道精神に基く真面目な質問だったんだろうと思ったので、さしてこの事件を不快には感じませんでした。この御老人は時代や環境が違えば日蓮級の業績を残していた人材かもしれません。
 そして次の橋本秀美氏による中国の社会慣習への『論語』の影響についての講義への質問で、論語の文言の解釈や儒教の教義に関する質問がほとんど出なかった事も、非常に対極的で印象に残りました。
 見当違いの同情かもしれませんが何となく橋本氏が哀れになり、誰か「左伝・公羊伝・穀梁伝の中で、オンドゥル正しいのはどれなんディスカー!」と叫ばないものか等と身勝手な妄想に耽ってしまいました。
 多くの一般人の知識欲と隣接した分野を研究する事とそうでない分野を研究する事の違いを、改めて目の当たりにした気分です。
 以前「日本軍がA地域で民衆を殺したか否か、したとして死者は約何名か、仮に約何名だとしてその内の何%が当時の価値観に照らしても理不尽な被害者と言えるか。」といったテーマを研究している人物の、「この分野には素人が平気でしゃしゃり出てくるから困る。」という意味の愚痴を聞いた事があります。ある程度は同情したものの、人気のあるテーマを選んだ以上は代償として甘受しなければならない苦悩だろうという突き放した感想も湧いてしまいました。「オスマン帝国によるアルメニア人虐殺の規模と違法性の程度について」を日本で研究している(したがっている)人にもまた、普段から抗議や脅迫に悩まされている人とは別個の、特有の悩みがあるだろうに、と思ったものです。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)