発売から一ヶ月以上経過してしまったが、『唐沢俊一検証本VOL.4』(参照→http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20101224/1293157504)を本日入手した。
今回は書き下ろしの第4章の質が非常に高かった。
去年私は検証活動に関して、「駄文を生む構造に踏み込まなければ、n流のライター個人が消えても(n+1)流の後継者が出現するだけではないか?」という、一個人に対しては無理難題に近いともいえる事を勇み足で書いてしまったのだが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100107/1262796318)、なんと101ページでは、「唐沢俊一氏のような人物が、何故、そしてどんな読者によって、支持されるのか?」についての分析が、見事に成し遂げられていたのである。これは素晴らしい。
無理をしてでも発売直後に中野に寄っていればと、大いに悔やんだものである。
一方、否定的に評価せざるを得ない点もある。
まず、「ガセ百連発」と銘打って唐沢氏の書いた文章における虚偽を次々に暴いていく章があったのだが、「正しくはXである!」系の情報の出典がほとんど無かった点を批判しておきたい。
勿論、学術書ではないのだから、誰もがほんの少し調べれば判る程度の情報に一々出典を明記していては煩雑になってしまってよろしくないというのは解る。私自身も、このブログに執筆した書評では、そうした過度に丁寧な作業を行ってはいない。
しかし、ものには限度というものがある。例えば28ページの「ガセその48」では、「原文では」と書いてその原文の内容まで注釈で引用しているのに、その引用元が何故か書かれていない。これは流石に省略のし過ぎである。
その他、気になった点を幾つか列挙してみる。
24ページの「ガセその36」では、「「アンマチャ・デ・カプリオーレ」はイタリア語で「酒を飲んで踊ろう」という意味にはならないため、ただのこじつけの可能性が高い。」とある。これではまるで、「アンマチャ・デ・カプリオーレ」というイタリア語自体は有り得るかの様な言い回しである。しかし「アンマチャ」だの「デ」だのという単語は、収録語数75000の『伊和中辞典 第2版』(小学館・1999)にも載っていないので、そもそも少なくとも標準的なイタリア語ではないだろうし、故に唐沢氏の行為は「こじつけ」ですらないであろう。出来ればここまで踏み込んで欲しかった。
45ページには、引用文中に謎の線が引かれた部分がある(写真参照)。
63ページの「ガセその56」では、『論語』の「民可使由之 不可使知之」の解釈について、「本来の意味は「人民を従わせることはできるが、何故従うべきかを理解させることは難しい」ということである。唐沢のように「人民は従わせれば良いのであって、何故従うべきかについて知らせる必要はない」という意味で用いるのは誤り。」と言い切っている。だが「誤り」は少々言い過ぎではないかと思われる。論語の文言の解釈は実に多様であり、どれが正解だと一概に決め付けられるものではない。「通説」だの「多数説」だの「有力説」だのが渦巻く法学の世界に近い。例えば、孫引きになるが、荻生徂徠の『論語徴』によれば、伊藤仁斎はこの章を「彼をして恩の己れに出づることを知らしめず」と解釈したそうである。
76ページの「ガセその81」では、「おそらく世界の君主の中でももっともナサケない人物というイメージの持ち主の一人であろうイギリスのチャールズ皇太子(以下略)」という唐沢氏の文章が引用された後、「皇太子は君主ではない。」の一言が添えられている。しかしこの一言で終わってしまって良いものだろうか?名目上とはいえ、彼はウェールズの君主なのではあるまいか?
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