孫文の『三民主義』を再読していて、浅羽通明著『アナーキズム』第六章の記述に疑問を感じた。

三民主義(上) (岩波文庫 青 230-1)

三民主義(上) (岩波文庫 青 230-1)

三民主義 下 (岩波文庫 青 230-2)

三民主義 下 (岩波文庫 青 230-2)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

 私は政治思想史の勉強を体系的にする前に孫文の『三民主義』を読んでしまったため、理解が浅いままに長年これを「既読」の範疇に入れていた。最近再読した所、新しく気付いた事が大量にあった。先週のこの日記(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120112/1326371478)はその一例である。今日もそういった話を書く。使用する『三民主義』の邦訳は前回と同じである。
 孫文は「民生主義」の第一講で、民生主義とは「共産主義とも名づけられる」と言っている(下巻78ページ)。そして「民族主義」の第四講では、「マルクス主義はほんとうの共産主義ではない。プルードン(引用者による注釈略)、バクーニン(引用者による注釈略)の主張したものだけがほんとうの共産主義である。」と言っている(上巻93ページ)。
 図式化すると、「民生主義孫文にとっての真の共産主義≒世上で言う所のアナーキズムマルクス主義」という事になる。
 ここで私は、浅羽通明著『アナーキズム』(筑摩書房・2004)の第六章「敵の敵は味方」の冒頭の話題を思い出し、図書館で確認した。
 147・148ページでは、「奇妙な事実にぶつかって首を傾げさせられる」一例として、国民党政府が上海港湾労働大学を1927年に設立してアナーキストを養成した話が登場する。この国家権力がアナーキストを養成しようとした事について、著者は「そんなことがあり得るのだろうか?」と誘い、「種を明かせば、この珍事の裏には、単純な政治力学が存在した。」として、共産主義者が上海で労働運動を支配しないための措置だったと主張している。
 しかし、国民党イデオロギーの根幹である孫文三民主義の三つの柱の内の一つが無政府主義だったという上述の事実の観点からこの現象を見ると、「そんなこともあり得るだろう」と思えてくるし、さして「珍事」であるとも思えなくなるし、単純に「敵の敵は味方」の政治力学の一例にして良いのかという疑問が沸いてくる。