闘う刑事政策

 ある日本人が物語った。
 「皆さん、今日は日本国憲法第九十九条の話をします。
 この条文では、憲法尊重擁護の義務が規定されています。しかしこの義務を負う者の中に、「国民」は含まれていません。こうした体制を「闘わない民主主義」と呼びます。
 では「闘う民主主義」とはどのようなものかというと、民主主義を否定する意見の存在を認めない民主主義の事です。旧西ドイツや現在のドイツの体制が典型的です。
 ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例(第2版)』(信山社・2003)の「68 自由な民主的基本秩序の保証と政党の禁止」を読んで下さい。なんと西ドイツでは、1956年に連邦憲法裁判所の判決により、ドイツ共産党違憲とされ、解散を命じられ、代替組織の結成も禁じられ、しかも財産を国家に没収されたとの事です。恐ろしいですね。
 ナチスの後継的政党と見做されたドイツ社会主義帝国党も、1952年に違憲判決を受けています。
 こういうのは、そもそも民主主義の名に値するのでしょうか?
 確かに、日本とドイツの歴史的経緯の違いは、ある程度は理解しなければなりません。
 我々は、治安維持法によって政党の選択肢を過度に狭めた結果として失敗した国です。だから民主主義へのパターナリズムの侵入に敏感です。
 ドイツはヴァイマル憲法によって政党の選択肢を過度に拡げた結果として失敗した国です。だから少数者による無責任な極論を恐れるのも、仕方ありません。
 しかし社会実験の開始直後はともかく、今ではもうどちらが良かったかの決着はついていると言えます。
 日本でも、戦争の直後には、保守政党の中には、旧憲法的体制のほぼ完全な形での復活を目指すタイプの憲法改正論を唱える勢力がありました。日本共産党も、武装闘争路線を是とする派閥が主導権を握った時期もありました。しかしこうした連中は徐々に政党政治の中から排除されていきました。排除の経緯は、確かに直接的には党内の抗争でしたが、「あの連中を黙らせない限り、票は与えない。」という有権者の意向が、そうした抗争において一方の側を間接的に支え、また勝利者を事後的に正当化した事もまた事実です。
 一方ドイツでは、知識人の間で闘う民主主義への批判が高まっているそうです。
 日本の有権者は、ドイツの憲法裁判所が力尽くで達成した成果を、闘わずして手にしたのです。嗚呼、なんと素晴らしい事でしょう。闘わない民主主義万歳、憲法第九十九条万歳です。
 そうであるのに、日本にはまだ、日本を闘う民主主義国にしようとする勢力が根強く活動を続けています。不肖私は、こういった邪悪な勢力に立ち向かうため、「九十九条の会」という団体を創りました。
 最終的には、民主主義の名を穢す闘う民主主義国の圧政に苦しんでいる世界中の少数派を救うため、日本国憲法第九十九条を地球憲法第九十九条にしようと考えています。
 この運動にはかなりお金がかかります。そこでこうして寄付を募っている次第です。99万円以上寄付すると、記念に唐物茶入れ「九十九髪茄子」のレプリカがもらえます。この記念品には、「極悪人呼ばわりされた松永久秀ですら、詳細にその人生を調査してみると、様々な功績や芸術上の才能が見えてくる。現代社会も、頭ごなしに極論を無視するのは良くない。」というメッセージが込められています。」
 
 その頃、海の向こうのある死刑廃止国では、日本の死刑制度が語られていた。
「知ってるか?日本では生命の権利の保証のために、生命の権利の敵には生命の権利を認めていないんだってさ。それで辛うじて治安を維持しているんだってよ。」
「それって本当に生命の権利の保証って言えるのかな?ちょっと邪道っぽいよね。」
「まあ歴史的経緯や死生観の違いもあるんだろうから、頭ごなしに否定するのも良くないかもね。」

ドイツの憲法判例 第2版

ドイツの憲法判例 第2版

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 信山社
  • 発売日: 2003/12/25
  • メディア: 単行本