殺したのは連合国。見殺しにしたのは日本人。

 A級戦犯を裁いた事への批判は多い。ただし、その批判対象が連合国及び積極的に加担した一部の日本人のみに絞られている感がある。一般の日本人は恰も第三者や被害者の片割れの様に扱われている。
 しかしながら、「事後法で人を裁くな!」という国民的な反対運動でも起きていれば、天皇が訴追されなかったのと同じく、占領行政の障害になると判断されて、A級戦犯裁判は中止となっていたかもしれない。
 大規模な反対運動が起きなかったという事は、当時の日本人の内でA級戦犯達を嫌う人々の多くは、「違法な手口でも良いから、外国人が連中を殺してくれれば儲けものだ。これで我輩の手も汚れないで済むから一石二鳥である。」程度の心算であったと思われる。そしてA級戦犯達を好く人々の多くは、「あの人達を救いたいのは山々だけど、占領軍に逆らったせいで我が身が不利益を被ったら困るから、他人の振りをしよう。」ぐらいの気分だったのであろう。
 万が一もしも「全人類の罪を七身に背負って死んでいってくれた東条英機達に感謝し続けよう。」という思想がいつの日にか世界標準になったら、その未来世界で最も激しく差別されるのは案外日本人かもしれない。
 類似の問題は、レッドパージに関しても言える。
 一般に「左派」に分類される論客や団体には、戦争への抵抗運動が足りなかった事については、自分や他者を批判する事例がしばしば見られる。その一方で、レッドパージへの抵抗運動の足りなさや拙さを批判して、その反省を踏まえて次の占領時代にはどう立ち向かうべきかを提言した文章というのは、ほとんど見かけない。大概は占領軍と政府を批判して終わりである。
 これでは群民蜂起論に人気が集まらないのも当然である。
 念のため書いておくが、私は理不尽な占領政策には命懸けで立ち向かえと煽っている訳でもないし、果敢且つ上手に立ち向かわなかったのは絶対的な悪だから自己批判しろと迫っている訳でもない。
 威勢良く占領軍やその積極的協力者を批判したり、景気良く群民蜂起論を唱道する前に、まずは日本人が理不尽な占領政策に対して目立った抵抗の成果を収められなかった事を思い出してみようと、提案しているだけである。
“και εμνησθη ο Πετρος του ρηματος Ιησου ειρηκοτος οτι Πριν αλεκτορα φωνησαι τρις απαρνηση με και εξελθων εξω εκλαυσεν πικρως.”(『マタイによる福音書』第二十六章より)