今更ながら、『スターウォズ エピソード2』を再見

 今更ながらスターウォーズのエピソード2のDVDを借りてきて再見した。初見時の感動が薄かったせいで余り期待していなかったのだが、エピソード3を視聴した後に視直すと色々なシーンが再発見出来る事が判った。
 まず序盤の、女性の賞金稼ぎがジェダイに捕まり、仲間だったジャンゴに口封じのため射殺されるシーンについて。
 ここで私は、ジャンゴはジェダイに殺気を悟られずに銃弾を発射する腕前があるならば、いっその事ジェダイを射殺すれば良いと、かつて自分が思った事を思い出した。そして、レーザー銃があるのにカミーノ製の毒の弾丸というより不確実な弾道で口封じをしたのも、一見すると突っ込み所である。
 しかしこれは、共和国の乗っ取りを目指すパルパティーンが、カミーノに発注したクローン軍団の存在をそろそろ自然な形で明らかにするためだったと、今回の視聴で漸く気付いた。かつてデータから抹消したカミーノを、オビ=ワンに自分の意思で発見させるため、ドゥークーを通じてジャンゴに、カミーノ製の武器で仲間を殺すよう命じていたのであろう。極言すれば、あの毒の弾丸は外れても一向に差し支え無かった訳だ。
 自分の事を棚に上げて恐縮だが、オビ=ワンは、自分達が撃たれず、しかもレーザーが使用されなかった時点で、「何かおかしい!」と気付くべきだったのだ。
 この時のジャンゴ達によるパドメ議員の暗殺もまた、成功しても失敗しても良かったのだろう。実際には失敗したものの、パルパティーンは彼女の身の危険を口実に帰国させている。どちらにしろこれで、政治に関する相談相手を失ったジャー=ジャーを扇動して非常時大権の動議を提案させる事は簡単になったのである。
 無理矢理挿入したように初見時には視えて、退屈で死にそうになったアナキンとパドメの恋愛シーンも、全てはアナキンに執着心を持たせるためのパルパティーンの陰謀だと判った後で視直すと、もう楽しくてたまらない。
 終盤のヨーダとドゥークーの戦いでは、アナキンとオビ=ワンを助けるためにドゥークーに逃げられてしまったヨーダに、少々幻滅した。親しい人への愛情よりも大局的な観点を重視するのがジェダイの教えの筈であり、アナキンですら戦闘中に砂漠に落下したパドメを自分の手で救う事を諦めたというのに、ヨーダともあろうものが何をやっているのかと思った。あそこでドゥークーを殺せば、パルパティーンは戦争を理由にした権力集中が難しくなっていた筈である。しかもドゥークーの代わりとなる駒まで同時に失うのである。
 しかし、もしも遅かれ早かれどうせ銀河帝国が成立するのであれば、アナキンが血脈を遺した上で中途半端に寝返ってくれた方が、エピソード6の大逆転に繋がるから、長期的に観ればジェダイにとって良かったとも言える。
 しかしながら、こうも再反論出来る。ベイダー卿のいない銀河皇帝風情に、そもそも何程の事が出来るのかと。監察役無しにターキンに史実通りの強い権限を与えれば、謀反されて終わりである。かといって自分がデススターの指揮官を兼任してしまった場合、元老院の解散等という思い切った決断は難しくなる。
 とまあ、色々と他のエピソードと絡めながら視ると、単体で視るよりも色々な意味で味わい深い作品であった。
 陰謀や政治以外では、多彩な装備を的確に使い分けるジャンゴの能力に惚れた。前述した通り、実弾も使いこなせる。並みのジェダイはレーザー銃で瞬殺しているし、レーザーを弾ける技量のジェダイには火炎放射器を使っている。最終的にはメイスに討たれるものの、火炎放射器の燃料がたっぷり残っていて、背中のジェットの故障も無ければ、勝っていたかもしれない。
 一方のジェダイは、いつもライトセーバーを振り回しているばかりで、戦闘シーンがさして面白くない。しかもそのライトセーバーすら、満足に使いこなしてない様に見えるのだ。というのも、ライトセーバーなら簡単に切れる筈の巨獣の体組織の奥深くを攻撃して止めを刺す際、普通の剣の様に下向きに突き刺しているシーンがある。敵が最後の一匹ならばその様な余裕もあって良いかもしれないが、これは混戦の最中の出来事であった。普通に振り上げたり振り下ろしたりする方が、同じ深さまで打撃を与え、なおかつより多くの体組織に打撃を与え、しかも直ぐに次の動作に移れるだろう。そう私は考えたのだが、如何なものであろうか?
 なお、レンタルDVDに印刷されていた絵は、ジャンゴとそのクローン達であった。確かにこの連中こそ本作品の実質的主人公とも言えるし、個人的には大いに評価したいのだが、量産品にしては中々に渋い人選である。