令和四年は、「~でなければ何でもいい」主義が多方面で壊滅的打撃を受けた年であった。中国・原発・安倍・日本会議。

 令和四年という年を振り返ると、「「~でなければ何でもいい」主義が多方面で壊滅的打撃を受けた年であった」という気分になった。本日はその「多方面」について語ろうと思う。

1.中国(特にロシアとの比較)

 冷戦が終結して以来、日本におけるロシアへの評価は鰻上りとなった。そして代わりに評価が下がっていったのが中国である。

 街宣右翼の中にはその後も「北方領土奪還」を叫び続ける方々が多かったが、「支持するにせよ批判するにせよ是々非々で評価するにせよ、とにかく今後の右翼業界の主流派は中国を批判するネトウヨなのであって、いつまでも北方領土にこだわる街宣右翼は冷戦の遺物に過ぎないから黙殺しよう」というのが、ここ20年ほどの世間の風潮だった。

 そういう風潮の中で、私は長らくネットでもリアルでも世界平和指数ランキングや世界民主主義ランキングなどの国際的には権威あるデータを国内に紹介することで、「この点ではロシアより中国が優れているというのが世界の常識。あの点ではたしかにロシアのほうが優れているが、日本で言われているほど中国と大差はついていない」と地道に主張し続けた(一例→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)。もちろん街宣右翼同様に私も黙殺された。

 そういう風潮を一変させたのが、今年二月のロシアによるウクライナ侵略である。

 これで理解出来たと思うが、「旧東側諸国でもマルクス主義による独裁を捨てたなら安全、捨ててなければ危険」などという単純な親露反中思想のほうが、むしろ冷戦時代の遺物だったのである。

 中国を危険視するにせよ、他の隣国の脅威と比較対照した上で、「正しく怖れる」べきであったのだ。

2.原発

 「正しく怖れる」といえば、原発を他の発電のリスク・費用等を比較対照した上で正しく怖れようという主張は、中露に関する上記の私の見解よりは世の中に受け入れられていた。

 しかしながら「即刻原発を全部廃止すべき」主義者からの一定のバッシングを受けていた。

 そういう状況が長く続いていたが、今年七月の熱海の土石流による太陽光発電の事故の映像が全国のお茶の間に流れたことにより、両主張への世間からの評価の優劣は決定的になった。

3.安倍

 「どの政党を与党にして、誰を総理にするか?」という丁寧な議論を一切無視して、「安倍はやめろ!」だけで連帯した運動がかつて存在した。

 私は「そんな運動が一定の支持を集めた以上、次の政権で必ずファシズムの時代になる」と批判した(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/05/05/043000)。

 私が予測した未来は、菅義偉氏のおかげで半分だけ外れた(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2021/09/03/180000)。

 しかしながら半分ぐらいは当たった。

 保守派からの支持も芳しくない状態で更に軍事費倍増等の政策を打ち出した今年の岸田政権に対して、かつて「安倍はやめろ!」で盛り上がった人々は、ほぼ無抵抗に等しい状況である。

4.日本会議

 ここまで偉そうに他人を批判してきたが、最後は三年四ヶ月前まで私も多少は同罪だった件である。

 「自公政権の背後に究極の政治力を持った「日本会議」なる圧力団体が存在し、世の中のほぼ全てを自在に動かしている」という主張がかつて存在した。

 そういう中で、鈴木エイト氏は地道に統一教会の政治力の強大化を指摘してきた。氏の御陰で私も三年四ヶ月前にそれを知る事が出来た(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/08/20/023423)。

 そして今年7月に安倍晋三射殺事件が起きてから、やっとマスコミも鈴木氏の後追い取材で統一教会の政治力の強さについて明るみにするようになった。

 日本会議関連の陰謀論は日々信頼を失っていき、せいぜい「あれは実は統一教会とも連携出来るイデオロギー的には緩やかな集団であり…」等の修正論の形で生き残る程度となった。

5.最後にちゃぶ台返し

 最後にちゃぶ台返しのような事を書いておく。

 上述の諸事件を見たり本稿を読んだりして「~でなければ何でもいい」主義を反省した人の中には、「よし、害悪の塊であった「~でなければ何でもいい」主義を即刻やめよう」という決意をした方もいるだろう。

 だがその決意こそが、「「~でなければ何でもいい」主義でなければ何でもいい」主義である。

 即刻やめるのではなく、多少時間がかかっても「これはかつて自分が採用していた「~でなければ何でもいい」主義より総合的に見てマシのようだ」と確信出来るものを、探したり、創造したり、選び取っていって欲しい。