死んだ孫にそっくり

「見れば見るほど、死んだ孫にそっくりぢゃ!」
 老人が無遠慮にこの台詞を吐くのはもう三度目であった。そろそろ不愉快になり始めていたのだが、この顔の御陰で野宿を免れたのだから、やはり我慢すべきなのだろう。一度安心してしまったこの脚と精神では、もう狂狼の跳梁する夜の森へは戻れない。
「見れば見るほど・・・見えざるマコトが見え・・・。」
 老人の酔眼が変化を見せていた。もっと早くからこの眼に注目していれば何らかの対策が立てられたかもしれないと後悔しつつ、私はあらゆる事態に対処出来るよう、必死で疲れた全身を興奮状態へと移行させるための努力を始めた。
「さてはカヅキの身体を内側から食い破っていったあの化け物は貴様か!」
 老人は鉈を振り回しながら襲いかかってきた。私はひたすら避け続けた。
「カヅキの仇!」
 老人の渾身の一撃が大黒柱を直撃し、鉈はもう押しても引いても微動だにしなくなった。
「そうだ、よくよく考えたらあの化け物が御前さんである筈がない。何しろ事件が起きた日時は・・・。」
「自分が不利になった途端、都合良く正気に戻ってんじゃねー!今時のキレ易い若者を舐めるなぁ!」
 私は老人を殴り飛ばそうとした。老人は屋外へと逃げた。それを追って外に出た途端、私は突然どこからともなくやってきた敵の増援の体当たりを受け、大いに転倒してしまった。後頭部から生暖かい、厭な匂いのする、それでいて何故かどことなく清々しい液体が少し流れた気がした。声も出なくなったので、ここからだと影絵芝居の様に見える老人と少年の対話を見守るしかなくなった。
「御爺様、御無事でしたか。」
「カヅキ、お前はワシの想像の中でしか生きられない筈。どうやってうつしよに戻ってきたのぢゃ?」
「ここが現世である事を誰が保証したんです?・・・じゃなくて、えーと・・・危機に陥った御爺様の秘めたる力が発動したから、僕は質量を得たのです。多分。」
「カヅキが復活した以上、大日本帝国の再興も最早決して夢物語ではない。明日から忙しくなるぞ。まずはラヂオ体操を再開せねばな。」
 その時、やっと私は声を出せるようになったので、懇願した。
「カヅキ君とやら。君の実力はよく判った。負けを認めるから医者を呼んでくれ。」
「そうしたいのは山々なんですが、ここは携帯の圏外なんです。」
「じゃあ早く家の中に在るであろう昔懐かしの黒電話で呼んでくれ。」
ジェット機が空を飛び交い、電網が世界に張り巡らされ、崩壊寸前の国ですら核実験に成功するこの時代に、そんな古臭いものをワシがいつまでも所持していると思うたか?見損なうな、若造!これでも若い頃は親父様に蘭癖をしばしば咎められ・・・。」
 私が絶望して近い内に訪れるであろう死を覚悟したその時、カヅキ君は目を白黒させてよろめいた。その直後、カヅキ君の腹を食い破って気色の悪い巨大な蟲が飛び出し、夜の闇へと消えていった。
「カヅキィ・・・ゲエ。」
 カヅキ君に駆け寄ろうとした老人だったが、密かに忍び寄っていた狂狼が彼の喉笛目掛けて飛び掛かった。
 血の惨劇の海の中で、私は自分が母親から産まれたこの状況を思い出し、反芻していた。