【新説?】のび太とセワシには直系の血の繋がりが無いのかもしれない。

 「か(書・描)かれたもの」を解釈する手法には、大きく極端に分けて、現存している状態を孤立した完成形と見做してそのものの内部を整合的に扱う手法(以下、手法A)と、対象がその状態になるまでの過程を考慮して可能性としてのそれ以外の結果と比較対照しながら解釈する手法(以下、手法B)との、二つがある。
 「かかれたもの」が法律等の規範である場合、上記のどちらの手法にどの程度偏るべきかという事をまず争わなければならない。また文言が変更されたら必ず解釈も変えるべきだという立場の人間同士でも、例えば日本国憲法をめぐっては、第9条第2項の「前項の目的を達するため、」という文言が追加される以前の案も一つの体系と見做すべきか否かをめぐって更に争いが起きる場合がある。
 我が国の学校教育における「国語の試験」は、実験的なまでに極端に手法Aを徹底する事が要求されている。問題用紙に印刷された文章がもっと長い文章の一部を抜粋したものである事が了解済みであったとしても、敢えてそこにある文章のみを用いて解答はなされなければならない。具体例を挙げると、元の文章では後に「たけしくん」になる人物も、問題用紙に抜粋された文章中ではまだ「怪人物ハ群2号」としか呼ばれていないのなら、解答文で使用する際には「怪人物ハ群2号」としなければならないのである。
 おそらく我が表徴の帝国の臣民の大半は、この学校教育の御蔭で、バルトに扇動されるまでもなく、作者を殺す技能に異様に長けていると思われる。
 逆に、あるフォークロアの発生と伝播について調べる場合等は、手法Bを活用する必要があるだろう。
 さて、ここからが本題である。
 漫画業界における長期連載の最大の敵の一つは、初期の設定であろう。作家も編集者も忘れていた初期の設定と矛盾する描写があると、ファンは見逃さない。すぐに指摘される。
 矛盾を発見した時の読者には、直ぐに手法Bを用いて「X先生、またやったな。」で終わらせてしまう人もいる。しかしシャーロキアンの例にも見られる様に、一般に作品への愛着が深いと、知的ゲームを兼ねて何とか整合の採れる仮説を考えるものである。その仮説の見事さや新しさをめぐってファン同士で議論が起きたりもする。
 例えば有名なものとして、国民的な漫画『ドラえもん』における、野比のび太の未来の結婚相手の変更をめぐる議論がある。
 この漫画は、のび太の玄孫であるセワシが、のび太に未来のロボットであるドラえもんを与えて歴史を変えようと企図する事から始まる。この計画は成功し過ぎた様で、やがてのび太の未来の結婚相手まで初期設定と変わってしまうのである。ところがセワシはその後も消滅せず、たまに漫画に登場するのである。
 西暦2009年4月30日0時30分現在、Wikipediaの「セワシ」の項目では、この問題に対する様々な仮説が列挙されている。そして私は先程、ここにも書かれておらず、また今まで読んだドラえもん研究の文章にも見えなかった説を思いついた。ただし既にどこかで誰かが同じ説を発表済みであるかもしれないので、この日記の題名には【新説?】と付けておいた。
 のび太の結婚相手が変わっても、そもそものび太セワシの間に直系の血の繋がりが無ければ、少なくとも遺伝子上の問題は解決出来る。つまり、新旧二つの歴史における野比家の系図の途中に同一の養子か非配偶者間人工授精児がいるというのが、私が先程思いついた説である。セワシの外見がのび太に似ているため、この説は思いつき難かった。しかしこれは、単なる偶然と言い張る事も決して不可能ではないし、それが嫌なら生物学上の父系の出自も遠縁の野比一族であると想定すれば良い。

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

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物語の構造分析

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ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)

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ドラえもん (16) (てんとう虫コミックス)

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