通名報道論争を乗り越えたい

 通名を持った外国人が逮捕された場合において、本名ではなく通名を報道する事を、俗に「通名報道」という。一部のマスコミがこの制度を採用しており、その是非をめぐって論争が続けられている。
 私としては、これは確かに通名を持たない外国人や日本人にとってだけ不利な制度なので、是正すべきだと思う。
 ただし、「どの報道機関も、通名を持った人が逮捕された場合には本名で報道する」という、是正派の多くが目指す形での解決は望まない。
 この問題を根本から問い直してみたところ、そもそも私人が逮捕されただけで報道される事がおかしいと気付いたからである。近代法においては、推定無罪の原則は基本中の基本である。日本人の多くがその原則を忘れている点にこそ(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100811/1281532452)、実は無益な論争がなされ続けている真の原因があったのである。
 通名を持つ人の人権状態を、通名を持たない人のレベルにまで下げるというやり方は、最大多数の最大幸福という観点からは望ましくないし、またそうした解決策は既得権者の猛反発によって頓挫する事が多い。それよりは、現在不利である側を引き上げてやる方が良い(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100915/1284530647)。
 通名報道の是非をめぐる論争は一先ず中止し、通名であれ本名であれ逮捕された私人の名を報道するという現状をこそ批判していくべきではあるまいか?通名報道の是非なぞ、この現状が改まれば、そもそも論点が消滅して自動的に解決してしまう問題である。
「雖在縲紲之 非其罪也」(『論語』公冶長篇より)