中世キリスト教世界における籤の評価に関する疑問――十三番目の使徒は籤で選ばれたのだが・・・

 十日程前、安藤洋美著『確率論の黎明』(現代数学社・2007)に関する日記(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110303/1299090957)を書いた。
 中世キリスト教世界で籤引きが野蛮・不敬な行為として認識された原因は、イエスの処刑に際して行われた籤引きにあるという説が、25ページに書かれていたのは、前述の通りである。
 しかし本日『使徒行録』を眺めていると、裏切ったユダに代わる補充の使徒を、籤で選んでいる場面を見つけてしまった。
 候補者二名を人為によって選び、最終選考を神の意思が反映されるとした籤に委ねていたので、正確には「籤を併用して選出した場面」とするべきかもしれない。
 中世のキリスト教世界でこの件がどう評価されていたのか、気になるところである。
 とはいえ、私の周囲に確実にこれを教えてくれそうな人は見当たらない・・・。大きな教会を訪問すれば教えてくれるのかもしれないが、仮に無駄足になると辛い・・・。
 誰かがここで教えて下さると、大変助かります。

確率論の黎明

確率論の黎明