金正日の著作・思想の批判的研究は足りているか?

 日本人拉致疑惑が証明されたり核兵器製造疑惑が証明されたりと、自らのもたらす北朝鮮情報の信憑性において、日本の親朝派は土を付け続けている。彼等が大きな失敗をする度に、多くの人が自分の最も信頼する北朝鮮情報の入手先を保守系メディアへと替えてきたと思われる。
 しかし日本の保守系メディアでは、金正日の個人的醜行を暴く情報はしばしば掲載されるものの、著作・思想の深い分析や紹介が行われる事は少ない。父である金日成の著作についても、オウムと北朝鮮サリンを巡る繋がりを示唆する等の特定の目的での部分的紹介に留まる場合が多い。
 だが衛星等を通じて北朝鮮の軍事力・経済力について如何に正確な客観的情報を得ようとも、北朝鮮の上層部がその力をどう使用するかについては、余り見えてこないのが実情である。
 最近私はアントワーヌ=ヴィトキーヌ著・永田千奈訳『ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命』(河出書房新社・2011)という本を読んだ。
 この中で特に興味を惹かれたのが、第二次世界大戦前夜における、ヒトラーを研究したがっていたフランス人達と手の内を読まれまいとするヒトラーとの間の攻防である。
 ヒトラーの出方を予測するには、その思想を知らなければならない。そこでフランス人としては『わが闘争』の完訳版が必要になるのだが、ヒトラーの側は著作権裁判や親独派フランス人による都合の良い抄訳の出版等の手段を用い、都合の悪い部分がフランス人の目に触れる事を極力防ごうとしたのである。勿論フランス人も負けてはいない。合法的な部分的引用の多用や、違法な全文の秘密出版の購入等の手段を用いてこれに対抗したのである。
 最近流行の「正しく怖れる」というフレーズは北朝鮮問題でも目標にされるべきである。そのためには、「チェジュ思想」がどうこうだのと言っている三流保守(参照→http://togetter.com/li/192408)に頼るべきではない。『わが闘争』の分析に挑んだフランス人の姿勢を参考にすべきである。
 残念ながら現在日本で入手出来る金正日の著作の和訳の多くは、平壌外国文出版社かチュチェ思想国際研究所によるものである。北朝鮮ベルヌ条約に加盟した2003年より前に、朝鮮語に堪能で金正日に対して中立的または批判的な人々が先手を打って彼の著作を大量に和訳して図書館や古本市場に流していてくれていたならば、と思ってしまう。
 だがヴィトキーヌ前掲書は大量引用という合法的手法を教えてくれた。この手法を用いて北朝鮮上層部の信念・指針を中立または批判の立場から分析する書が続々と登場する事を私は待望する。

ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命

ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

わが闘争(下)―国家社会主義運動(角川文庫)

わが闘争(下)―国家社会主義運動(角川文庫)