多根清史著『ガンダムと日本人』(文藝春秋・2010)

ガンダムと日本人 (文春新書)

ガンダムと日本人 (文春新書)

評価 知識1 論理1 品性2 文章力1 独創性1 個人的共感1
 『機動戦士ガンダム』の内容の紹介・分析を通じて、日本人について思いついた事を色々と語るという体裁の書である。
 本書の欠点は数多いが、中でもガンダムに関する知識の欠如が最大のものである。
 14ページでは「モビルスーツ」を「戦闘ロボットの総称」と説明している。しかしこの定義に従うと、88ページで「人型をしていない戦闘ロボット」と説明されたモビルアーマーモビルスーツの一種という事になってしまう。不思議な事に54ページではモビルスーツが「人型兵器」と正しく説明されている。随分と定義を混乱させたものである。
 52ページではホワイトベースを「ガンダムに並ぶもう一つの「主役メカ」である戦艦」としている。だがガンダムに「並ぶ」主役メカという定義に相応しいのは、ガンキャノンガンタンクの方であろう。
 同ページ、「ホワイトベースに乗り込んだアムロを初めとした人々は、ブライト艦長(彼もまた、士官学校を出たばかりの軍人見習いにすぎない)をのぞいて、全員がその場にいあわせただけの民間人だ。」とある。しかしブライトはサイド7入港前からホワイトベースに乗っていたので、常識的な表現ではわざわざ「のぞ」く必要はない。またこういう人物をも「乗り込んだ」内の一人に数えるならば、一時的に艦の外に出た他の無名の連邦兵達の存在も忘れてはならないだろう。
 これに続けて53ページでは「そんな彼らが、ジオンの攻撃から避難のために新鋭艦に乗り込んで勝手に持ち出したあげく、」としている。しかし実際にはサイド7出港時にはホワイトベース艦長のパオロは存命であり、脱出は彼の指揮の下で行われたものである。80ページには「ホワイトベースの初代艦長・パオロがシャアの奇襲にさいして「に、逃げろ」と脅えた一幕を思い出させる」という記述があるのだが、この「一幕」がサイド7入港の前だったか出港の後だったかまでをもしっかり思い出して欲しかったものである。
 57ページではホワイトベースを「新型宇宙空母」としている。しかし実際にはホワイトベースは大気圏内でもしっかり活躍している。なお一般にホワイトベースは「強襲揚陸艦」に分類される。また第1話の台詞を根拠に「戦艦」と分類される事もある。著者自身からして52ページでは「戦艦」に分類していた事は前述の通りである。一体この5ページの間で、著者に何が起きたのか?
 同ページには「V計画」という誤った記述がある。これは「V作戦」が正しい。因みに97ページでは何故か正しく「V作戦」と書かれている。
 59ページではホワイトベースの戦果として「彼に対抗心を燃やすジオンの軍人・コンスコン少将をして貴重なモビルスーツを12機も失わせる副産物までもたらして、」と書いている。これは第33話の有名な台詞に影響されての記述だと思われるが、第34話にもコンスコン指揮下のモビルスーツの存在が確認出来るので、ホワイトベース隊の対コンスコン戦での戦果はもっと多い。ここの不正確さ加減に比べれば、183ページの「コンスコンガンダムらに12機ものモビルスーツを全滅させられたジオン軍人)」という記述の方がまだ許せる。
 67ページでは劇場版第3作に関して「ドズル・ザビ中将がわが軍の偉容を前にして「戦いは数だよ兄貴(=ギレン)!」と勝ち誇った」としている。だが実際にはこの発言は増援の少なさを憤ってのものである。
 69ページではルウム戦役をジオンの「圧倒的な勝利」としている。しかしこれは実際にはジオンの辛勝であり、だからこそサイド5のコロニーは落とされずに済んだのである。
 75ページ、「一年戦争の火ぶたが切られたルウム戦役」という表現がある。だが実際には一年戦争の火ぶたが切られたのは一週間戦争である。
 89ページではジオングを評して「地上戦を行う見込みのない今となっては、足がないことがハンデになるわけがない。」と決めつけている。だがジオングパイロットであるシャアは、ガンダムとの接近戦で蹴りを利用した過去があるし、『08MS小隊』の付録の『宇宙世紀余話』によれば、ルウム戦役において倒した敵艦を蹴る事によって推進力を得ていた人物でもある。また最近では、『若き彗星の肖像』の中で宇宙戦においても足のあるジオングの方が強いという見解が示されていた。そう簡単に「ハンデになるわけがない。」と決めつける訳にもいかないだろう。
 142ページでは「そして使うアテがあるかどうか怪しいソーラ・レイ――スペースコロニーを丸ごとレーザー砲(父親の"暗殺"のためには大がかりすぎる)に改造したギレン総帥も、独裁者といわれながらも「国民にジオンの偉大さを知らしめやすい兵器」を意識していたフシがある。」とある。しかし第40話ではマハルをソーラ・レイへと改造するための強制疎開が始まったのは四日前とされており、最終防衛線に迫ってきた連邦軍を迎え撃つという「使うアテ」に迫られての改造であった事は明らかである。百万人以上の強制疎開は、ジオンの偉大さを知らしめるどころか、デギンの言う「軍人の無能さ」と受け取られかねない。
 150ページでは「ジオン・ズム・ダイクンやレビル少将らが提唱していた「ニュータイプ」思想」という記述がある。しかしレビルの劇中での階級は大将である。またもしも「レビルは少将時代にニュータイプ思想を提唱していたが昇進後にそれを止めた」という設定の派生作品があるのならば、それを紹介すべきである。
 156ページには「ギレン総帥も「(コロニー落としにより)せっかく減った人口です」と父との私的な場で漏らしていたが、」とある。これは第40話の一場面と思われるが、何故著者が勝手に人口減少の理由をコロニー落としに限定する補足を加えたのかは謎である。サイド1・2・4・5の壊滅の死者数も相当なものであろう。
 以上により、著者はガンダムについてほとんど知らないという事が判る。おそらく一部の話だけを大急ぎで視聴し、思いついた事を適当に並べ連ねたのであろう。「紫電改」の名称が出てくる一方で決して「カイ=シデン」という名前が出て来なかったのも、当初は不自然に思えたのだが、こう考えると十分納得出来る。
 それでもせめてガンダム以外の知識がしっかりしているならば、それなりに意義のある本に仕上がっていたかもしれないが、実は著者は一般常識も欠如しているのである。以下にその証左を示す。
 20ページ、「今もなお「民主主義憲法憲法のかがみ」と名高いワイマール憲法を制定。」とある。だが実際には、ワイマール憲法は多くの自由権を「法律の留保」の下に置いたためにナチスの台頭等によって自由権を無効化された事が批判されている。第二次世界大戦後はそうした事跡への反省を踏まえて大陸法の国でも自然権思想が復活し、英米型の「法の支配」に近い「実質的法治主義」が強まったのである。今もなおワイマール憲法を民主主義憲法の模範としている国や法律家はほとんど存在しない。
 同ページではこの記述に続けて「そしてドイツの敗戦を認めた共和国政府はフランスら戦勝国と「ヴェルサイユ条約」を締結したが、」とある。しかしヴェルサイユ条約が調印されたのは西暦1919年6月28日であり、ワイマール憲法が制定された1919年8月11日以前の話である。
 25ページには「そして1942年(昭和17年)2月に、日本政府はこれらの占領地を「帝国領導下ニ新秩序ヲ建設スベキ大東亜ノ地域」と決定した。」とある。「これらの占領地」が指す占領地は、前の段落で列挙されている。それらの中には、1942年2月にはまだ占領が終わっていなかったビルマアンダマン諸島インドネシアニューギニア北部・アッツ島キスカ島が含まれている。
 27ページでは西暦1918年の日本について「わずか半世紀前にはたかだか1隻の「黒船」が来航したぐらいで国中がパニックに陥り、」という記述がある。だが嘉永6年に浦賀に来航した黒船は四隻であり、翌年に江戸湾に来航した黒船は九隻である。
 32ページでは近衛家を「五摂家(公家の頂点に立った家柄)筆頭の関白家」としている。実際には近衛家以外の五摂家である九条家一条家二条家鷹司家からも関白は輩出されている。
 41ページには「ジーク・ジオン!(「ジオン万歳」という意味)」とある。だがドイツ語の“Sieg”は「勝利」という意味なので、これは「ジオンに勝利を!」の方が良いだろう。
 44ページではアメリカに独立された後のイギリスが失速していった事になっている。しかしアジア・アフリカにおけるイギリス領の拡大は、寧ろここからが本番な程である。
 165ページ、『ウルトラQ』の「地底超特急西へ」と『ウルトラマン』の第1話・最終話、そして主に宇宙人と戦う『ウルトラセブン』を紹介した上で、ヘドロ怪獣ザザーンが出てくる『帰ってきたウルトラマン』の第1話のみを根拠にして「子供達の関心さえも遠い宇宙から身近な環境問題へと移り、未知の宇宙怪獣がやって来る60年代から、公害が人々の生活を脅かす70年代へ、」と語っている。しかし『ウルトラマン』にも第6話で東京湾の汚水のせいで怪獣化したゲスラが登場しているし、『帰ってきたウルトラマン』にもベムスターやナックル星人等の宇宙から来た強敵が数多く登場する。よってここは1971年公開の『ゴジラ対ヘドラ』等も援用すべきであったと思われる。
 以上延々と欠点を列挙したが、終盤の富野由悠季とシャアの対比の辺りは、それなりに面白かった。この分野についての記述を批判出来るだけの知識が私に無いせいか、あるいは本当に上質な部分であるせいなのかは、不明である。