富野由悠季著『機動戦士Vガンダム』を読み終えた。

 富野由悠季著『機動戦士Vガンダム』を読み終えた。今回はその感想等のメモである。
 一番驚いたのは第五巻の350ページにある、地球圏の人口が「三百億」であるという設定である。本作品から60年前が舞台の『逆襲のシャア』時代の人口が百億だったので、その後1.8〜1.9%程度のスピードで増え続けていった計算になる。おそらく産児制限はほとんど行われなかったのであろう。カガチの思想が急速且つ広範囲に受け入れられるのも当然である。
 現実世界も、各国相互の牽制のし方が下手なせいで、人口問題を解決出来ずにある。エゴの総和が生み出すこの悲劇を、富野版ガンダム小説は初期から扱い続けてきた。今回も例によって結局は問題提起だけに終わってしまうのだが、問題を噛み締め直す事は忘却の彼方に追い遣る事よりも一般に正しい事である。
 物語の終盤では、物心両面でカガチの背後に存在する木星の不気味な影が強調されている。スペースコロニーに移住しただけの人類がエゴを捨てられなかったという点では、ダイクンの思想は間違いだったという事になるが、シリーズを通じて木星圏が地球圏の人類が織り成す悲喜劇を客観視し得る人材を供給し続けた事から察するに、彼の夢は木星圏ではより現実的であったとも解せる。
 『V』最終巻刊行の半年後に始まった『クロスボーンガンダム』の舞台が木星圏であったのも、この時期の著者が木星を重視し始めた事と関係があるのかもしれない。
 文章は、以前紹介した『閃光のハサウェイ』(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081029/1225227996)よりかは遥かに優れたものに仕上がってはいる。とはいえ、やはり時には著者の小説に付きものの奇妙な文章を発見してしまったのも事実である。以下、代表例を幾つか紹介する。
 (第一巻18ページより)「やさしい母なのに、母も躾にはきびしかった。」
 (第二巻102ページより)「暗号作成者のこまった癖のひとつに、軍事的な性格のものをラブレター形式の平文でおくるというのは、禁止されていた。」
 (第三巻101ページより)「さらに面倒なことは、脱出コア・システムというのは、このていどの衝撃をうけたときに、自動的にコックピット・コアを機外に放出するシステムが作動した。」
 最近では山田悠介著『リアル鬼ごっこ』(文芸社・2001)や一部の「ケータイ小説」の文章が批判されたが、文章が極端に稚拙な小説というものはこの様に昔から存在していたのである。流行りの小説の文章の批判は大いになされて良いと思うが、それは「今時の若者」批判と安易に結び付くべきではない。
 ところで、こういった奇妙な文章は、公的ではない会話においてはインテリですらしばしば口にするものである。だからいっそ登場人物の台詞として取り入れたら却ってリアリティが増すと思うのだが、本作を含め地の文がおかしな作品のほとんどが、どういう訳だか台詞の部分はそれより数段まともだったりするのである。
リアル鬼ごっこ

リアル鬼ごっこ