洪思翊氏は「異議のある者は申し出よ。」と本当に言ったのだろうか?

 昨日、山本七平著『洪思翊中将の処刑』(文藝春秋・1986)の第一刷を読んだので、それに関して気付いた事を発表しておきたいと思う。
 洪思翊氏は、朝鮮半島の平民の出でありながら大日本帝国の陸軍で中将にまで昇進した有名な人物である。洪思翊氏について検索すると、言い回しの細部は異なるものの、氏が「自分は朝鮮人の洪思翊である。天皇陛下の命により指揮を執る。」という意味の発言を部下に対して行ったという話が、大量に見つかる。
 そしてこれに続けて「異議のある者は申し出よ。」とも言ったとしている言説も、ネット上にはかなり多く存在している。今回の読書で、私はこの部分を疑い始めた。
 というのも、33ページ13行目から始まる段落の中で、著者が話をした「四十五期からの韓国系将校」の一人(以下「A氏」とする)が「私は自分が朝鮮人であることを隠したことは一度もありません。赴任をすると同時に全部下を集めて堂々と言いましたよ。『私は朝鮮人である。天皇陛下の命により今日からこの中隊を預る』それだけです」と言ったという話が登場するのである。この話に続けて著者は「もっともこれは伝聞だが、以上の言葉についで「それに文句のある者は一歩前に出ろ」と言ったともいう。」と付け加えている。この部分を普通に解釈すると、この「伝聞」内容はA氏一個に纏わる伝説という事になる。
 勿論、朝鮮系の指揮官の中で赴任時に部下に対してこの種の踏絵を迫ったのがA氏のみだったという証拠は無い。だが洪思翊氏のエピソードが大量に紹介されているこの500ページを超える大著の中で、「洪中将も実は同じ様な踏絵を迫っていた」等という話には一度も出くわさなかった。寧ろ、その種の芝居がかった発言によって無言による承諾という事実上の言質を取らなくても自然に部下に慕われ心服されるタイプの軍人だった事を示すエピソードに溢れていた。
 また16ページでは、息子である洪国善氏に対してイギリス統治下のアイルランド人の名乗り方を紹介した上で「おまえもこの通りにして、どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言い、決してこの『朝鮮人の』を略してはいけない」と言ったというエピソードが紹介されている。息子にこの様に言っていたからには、本人もまた自己紹介の際にはほぼ自然体で「自分は朝鮮人の洪思翊である。」と言っていた可能性が高い。字面と当時の社会的文脈だけから判断すると如何にも「異議のある者は・・・」風の発言の前振りに相応しい自己紹介も、こうしたエピソードを知ると別の語調が思い浮かんでくる。
 とはいえ、「異議のある者は申し出よ。」だの「文句のある者は一歩前に出ろ。」だのというのは、長らく一部でアインシュタインの発言とされていた「日本が世界の盟主になる」(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110518/1305723111)等とは違ってさして個性的な発言ではないので、これだけではまだ元々は洪思翊氏のエピソードではなかったと決めてかかる訳にもいかない。諸氏からの情報提供を強く希望する次第である。

洪思翊中将の処刑

洪思翊中将の処刑