『差別と日本人』(角川書店・2009)を読んだ。

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

 私は辛淑玉氏の著作を何冊も批判してきた。だが辛氏が対談本を出す事については、著作を出す事よりも高く評価している。
 辛氏に限らない事だが、ライターとしては無能な人物でも、著名人との対談で思いもよらない何かを生み出せる場合がある。本人の知能が低ければ低い程それが成功する場合すら、時にはある。
 この『差別と日本人』の「あとがき」では、野中広務氏が「誰にも話さなかったようなことをつい口にしてしまっていたりした。」と書いているので、本書は少なくとも野中氏へのインタビュー本としての価値は皆無ではなかった事になる。
 無能な人間にとって対談本を出すもう一つの利点は、非論理が相当許容されるという事である。文章であれば突飛としか思えない発言の多くが、「ひょっとしたら、抑揚やその場の雰囲気や文字化の際に省略された発言等を勘案すれば、案外元々は真っ当な発言だったのかもしれないな。」と酌量してもらえるのである。
 例えば117ページには、在日韓国人の石成基氏が国籍を理由に軍人恩給を受けられなかった話の直後に、突然何の前触れも無く「日本の遺族会っていうのはなんて卑怯なんだろうって思うのね。つまり日本人さえよければいい。」という発言が出てくる。何がどう「つまり」なのかが不明確で、その後も遺族会の卑怯さについての補足説明はない。これがもし普通の文章なら、「日本国と韓国とを切り離した連合国や、帰化障害年金の条件にした日本国や、石氏を救おうとしなかった韓国等を差し置いて、何故いきなり日本の遺族会を貶すのか!」と批判したくもなるが、対談部分という事である程度は許容出来る。
 ただ残念な事に、本書は普通の対談本ではなく、辛氏が独力で書き足した劣悪な文章も掲載されている。かなり分量も多い上に、何故か対談部分よりも太い文字で書かれている。このため本書は、辛氏が単独で著した書籍群に品質が近付いてしまっている。
 この文章群に出てくるエピソードや引用のほとんどには、出典が附記されていない。珍しく巻末には参考文献が列挙されていたので、これについては私も立ち読みの段階では「煩瑣になるより余程良かったかもしれない。」と思ってしまっていた。しかし帰宅して仔細に検証している内に、そういうレベルの問題ではない事が徐々に明らかになっていったのである。
 32ページには、引用元として「教科書の副読本(文部省検定済)」とまで書いておきながら書籍の題名だけは避けているという奇妙な例がある。何かどうしても書名だけは明かせない事情があったのだろうか?
 167ページには、「近代の日本は、明治憲法によって「四民平等」という国民国家原理を導入したはずだった。少なくとも、教科書にはそう書いてある。」とある。私が知る限り、日本の大概の歴史教科書では、四民平等という語は明治維新直後の諸改革の記述に際して登場し、明治憲法の記述の際には登場しない。辛氏の言う「教科書」とは、どこの国の、どんな科目の、何年に何社が出した教科書なのだろうか?
 なお巻末の参考文献には、上記の「教科書の副読本」や「教科書」らしきものは見当たらない。怪しい情報を孫引きしたのか、それとも下手な孫引きの際に重要な情報が捨てられて怪しくなったのか、あるいはまた辛氏の空想の中の教科書からの直接的で正確な引用だったのか、はたまた濤川栄太著『戦後教科書から消された人々』(ごま書房・1996)を見習ったのか(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20080913/1221265071)?いずれにせよ誉められた行為ではない。
 本書のもう一つの特徴として、過去の辛氏の主張や姿勢に反する内容が多い事が挙げられる。
 個人の主張や姿勢が変化していくのは当然であり、原則としてはこれを批判しようとは思わない。『怒らない人』(角川書店・2007)の「商品券(のちに地域振興券)なる金券を世間にばらまいたことがあった。」という不適切な記述(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090522/1242952846)が、97ページで「一九九九年に配布された商品券、のちの地域振興券」という形で踏襲されている事の方が余程問題である。
 しかし変化の際には、謝罪すべき対象がいる場合もある。
 176ページ、黒人と白人の混血であるオバマ大統領をマスコミが「黒人大統領」と呼び続けている事について、「ちょっとでも「違う血」が入ったら「あっち」なんだみたいな、そういうメディアのいやーな感じがとてもしたんですね。」と辛氏は語っている。辛氏は『悪あがきのすすめ』(岩波書店・2007)では、天皇百済帰化人の血が混じっているという理由で天皇を勝手に「仲間」扱いし、朝鮮に連れて帰ると宣言していた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090121/1232503768)ので、これについては天皇皇宮警察への謝罪が必要であろう。
 あるいは既に別の著作で謝罪しているのかもしれないので、2007〜2009年の間に辛氏が書いた天皇皇宮警察への謝罪文を御存知の方がいたら、辛氏の名誉のためにも、是非とも教えて頂きたい。
 そして一冊の本の中でも矛盾がある。本書は連載を纏めたものではなく書き下ろしなので、これについては個人の主張や姿勢の変化という言葉では庇うのが難しい。
 辛氏は19ページでは「西日本を中心に今なお続く「部落差別」は、古くは朝廷政治の歴史の中から生み出されていった。」と語っているのに、168ページでは「差別は、古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。」だの「近代日本における部落差別は、近代化過程における富の配分をにぎる藩閥政府の官僚たちと、それに支えられた新興財閥の特権を維持するために、あらたに作り出され、また再生されてきた。」だのと主張している。主題に深く関わる記述ですら、この有様である。
 理念も記憶力も無い人が、思いついた事をそのまま書き連ねたり他人の著作を書き写したりして、更に推敲の手間を惜しむと、こういう本が出来上がってしまうのである。
 以下、個々の問題点・疑問点の内、特に気になった部分を列挙してみる。
 33ページ、「地図には、平然と「穢多山」「穢多ガ峠」と差別的な地名が記された。」とある。これについては、当該地域とその周辺の住民に迷惑がかからない範囲内で、補足説明が欲しかった所である。有力な別名があるのかそうでないのか、当時の正式名称であるのかそうでないのか、その地図は誰が何のために作ったものなのか。そうした情報もなければ、それが差別であるのかないのか、仮に差別であるとしてどの程度酷い差別なのかが、判別出来ない。21世紀に出版された『差別と日本人』(角川書店・2009)という書籍の33ページにも、「平然と「穢多山」「穢多ガ峠」と差別的な地名が記され」ているが、これを憤る人は少ないであろう。
 46ページ、総理大臣時代の麻生太郎氏が「ホテルのバーに毎晩通っている」事を「瑣末な失敗談」の一つに数え上げている。これは文脈上は主に当時の野党やマスコミを批判している部分なのだが、そもそもホテルのバーに毎晩通う事は「失敗」ではないだろう。
 114ページ、凶悪犯罪が起きる度にネット上で犯人が部落民朝鮮人だという噂が流される事を、「マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。」と言っている。「精神構造において共通点がある。」等の表現を使えば一定の共感を得られたかもしれないが、根も葉もない悪質な噂を流した人物と取材に基いて報道したマスコミとを「同じ」として扱う事に賛意を示す人は少ないだろう。
 これに続けて「外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。」とある。引用部分前半で列挙された疑問と後半の結論との繋がりが不明確である。「犯人は外国人風」という報道の仕方を問題視する人の多くも、この強引な「つまり」には納得しないだろう。マスコミは全ての事件の犯人を「外国人風」だと報道しているのではないので、「日本人はいつも善良」だと思い込もうとしている訳ではあるまい。
 更に続けて、「そして、彼らが言う「日本人」には、部落民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。」とある。これはマスコミを馬鹿にし過ぎであり、はっきり言えば不当な差別である。
 118ページ、前述の石成基氏の話に続ける形で、「「日鮮同盟」とか調子のいいことを言って朝鮮人を引っ張り込んでおきながら、」とある。ひょっとしたら朝鮮半島が日本領であった時代にも「日鮮同盟」という言葉があったのかもしれないが、使用頻度を勘案するに、ここは「内鮮一体」の方を使うべきであろう。
 166ページ、麻生太郎氏を「麻生セメントに代表される麻生財閥の末裔」としている。麻生産業からセメント部門が分離独立して麻生セメントが発足したのは西暦1966年であるから、この会社に代表される財閥の末裔として1940年に麻生氏が誕生したというのは不思議な話である。
 174ページ、日本についての分析の後で、「他方、アジアは異なる。」とある。日本をアジアの一部でないとするのは辛氏の自由であるから、この点は批判しない。しかしそれに続く「アジア」の実例が、韓国と北朝鮮だけであったのは問題である。
 辛氏の非論理的な啖呵にこそ快感を覚え、それによって精神的に救われている人物もいるであろうし、またそれが治安にも貢献しているのかもしれないので、本書がこの程度の仕上がりであった事を、一概に残念な事だとは決め付けないでおこうと思う。同じ効用を阿片や悪徳宗教に求めるよりかは余程安上がりである。
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