鈴木良武著『機動武闘伝Gガンダム』

機動武闘伝Gガンダム (発動の章) (角川文庫―スニーカー文庫)

機動武闘伝Gガンダム (発動の章) (角川文庫―スニーカー文庫)

機動武闘伝Gガンダム 流動の章 (角川文庫―スニーカー文庫)

機動武闘伝Gガンダム 流動の章 (角川文庫―スニーカー文庫)

機動武闘伝Gガンダム―綺羅の章 (角川スニーカー文庫)

機動武闘伝Gガンダム―綺羅の章 (角川スニーカー文庫)

 Gガンダムの小説版を読んだので、紹介する。
 本作は、宇宙世紀シリーズの真面目さやリアリティといった特徴を完全に反転させてガンダムに新風を送り込んだテレビ版Gガンダム(以下、「原作」と表記)を、更に反転させて大人向けにした作品として有名である。
 また本作は一応はライトノベルとして出版されたものであるが、表現はかなり高度である。しかし改行がやたらと頻繁に行われるので、読み易さは平均的なライトノベルといったところである。こういう手法もあるのかと、勉強になった。
 原作ではひたすら熱く強い男だったドモン=カッシュだが、本作ではそのイメージは完全に覆されている。とにかく「弱さ」が強調され続けるのである。
 初刊『発動の章』は、十年間マスター=アジアによってヒマラヤで鍛えられてきたドモンが、オーギン首相からガンダムファイターに任命される場面から始まる。その直後、ドモンのせいでガンダムファイターを解任されたスギハラ少尉が喧嘩を仕掛けてくる。このスギハラという男は原作に登場しないオリジナルキャラなので、ここで大概の読者は「なるほど、この噛ませ犬を使ってドモンの強さを読者に知らしめようとしているのだな。」と、予測したであろう。しかしドモンは負ける。
 意外と言えば意外だが、良く良く考えてみれば当たり前の話である。非正規の修行を終えたばかりの一市民が一国から選び抜かれて最高の訓練を積んだ人物に勝つ方がおかしい。
 その場は横槍の御蔭で奇跡的に切り抜けたドモンだが、シャイニングガンダムに乗った後も、各国の正規のガンダムファイターやプロの暗殺者を相手に兎に角苦戦が続く。満身創痍になりつつ、毎度毎度奇跡の大逆転や奇跡の横槍によって辛うじて生き延び続ける。
 弱さの強調は、ドモンのみならず、ガンダムファイター全員とその搭乗機にも及んでいる。ファイターとしてはおそらく最強に近いマスター=アジアが乗ったマスターガンダムですら、『綺羅の章』37ページによると、戦闘用ガンダムや戦艦に比べると雑魚同然らしいのである。
 そしてドモンにとっての最終目標であるデビルガンダムすら、縮小に縮小を重ねた末の存在である世界各国の正規軍でも、出動さえすれば簡単に勝てる相手という設定なのである。
 ガンダムファイター達の弱さと正規軍の強さが強調される事で、戦争の廃止とその代替物としてのガンダムファイトという制度が、如何に大きな意味を持っていたかが浮き彫りになっている。
 こうした世界観の中で、ガンダムファイト維持派のオーギンやレイン=ミカムラら・廃止派のカラトやスギハラら・人類粛清派のマスター=アジアの三勢力が相争うというのが本作の筋書きである。
 一応ドモンは維持派の味方をしているが、彼等は必ずしも絶対の正義ではない。事件のそもそもの発端は、維持派が廃止派に仕掛けた卑劣な罠であったのであるから。
 また宇宙居住者のレインは『発動の章』の111ページで、ガンダムファイトで地球の経済が荒み放題になる事について、地力を回復させる良い時期だとまで言っている。「自然を回復させるためには全人類を宇宙移民にするのが理想だが、限定戦争を起こして地球経済を破綻させるのが一番現実的」という発想は、宇宙世紀においては悪役扱いのジャミトフ=ハイマンが実行していたものである。
 一方マスター=アジアは人類の粛清を唱えるが、デビルガンダムと地上の都市を破壊するのが主な活動であり、運良く生き延びた元都市住民は基本的に見逃されている。また宇宙に住む人類まで殺す気は無さそうである。これなぞは宇宙世紀では『逆襲のシャア』におけるシャアに近い行動であり、必ずしも悪とは言えないだろう。
 またガンダムファイトの廃止と軍備復活の思想も、外交さえ上手に行えるのならば、案外ガンダムファイトより安価に運営出来る案かもしれない。現に世界中の軍備増強派が見事に一致団結してオーギンの策謀を切り返したのである。集結した戦艦は六十二隻、ネオジャパンの戦艦は内僅か二隻。世界に占めるネオジャパンの人口や経済の程度は不明だが、デビルガンダムを作り上げた程であるから、そうそう弱小国でもあるまい。その国軍が提供する戦艦の三十倍の数の戦艦が他国からも集まったのである。おそらく軍備復活派は世界中にいて、互いに仲が良く、各国における支持率もそう低くはないのだろう。おそらく今後も相互に全力で戦争をする可能性は低いのではあるまいか?
 もう一つ面白いと思ったのは、マスター=アジアの流派東方不敗の系譜を遡ると釈迦の直弟子に辿り着くという小説版の独自設定が、後半では盛んに強調される事である。そして自然を守るために人類を殺し続ける事への罪悪感の中で、マスター=アジアが徐々に発狂していくという描写である。
 本作の執筆時期を考えれば、これは確実にオウム真理教の起こした無差別殺人事件に影響されたものだと思われる。純粋な動機から始まった活動がカルト化し、一部の良心的な信者は教祖に協力しつつも罪悪感に悩まされるという状態を、デビルガンダムに協力するマスター=アジアを通じて描いたのであろう。
 欠点もあった。
 『発動の章』209ページの12行目では、普段デビルガンダムを「アルティメットガンダム」と呼称しているマスター=アジアが、「デビルガンダム」という単語を使ってしまっていた。ただしこれは、マスター=アジアに良心が残っていた事の伏線だと弁護出来なくもない。
 『綺羅の章』32ページの12行目では、「まず六日間、いや三日でかまわない。九十六時間の猶予がほしい。」という台詞がある。そしてこの「三日間=九十六時間」という謎の計算について、地の文に解説は一切存在しなかった。これは問題である。