幸福実現党の立木秀学党首の講演会に行ってきました。

 東京大学の学園祭「五月祭」(http://www.a103.net/may/85/visitor/)に、幸福実現党の党首である立木秀学氏が講演に来ました。それも安田講堂で講演するというのです。
 立木氏の次の講演が総長による秋入学に関する講演だったので、立木氏の講演を聞けば良い席も取れるかなと思い、加えてこの講演自体もまた少しは話の種にもなるかなと思い、ぶらりと訪れました。
 12時からという事でしたが、前のイベントが長引いたのか、それとも五月祭常任委員会の不手際のせいなのかは知りませんが、始まったのはようやく12時15分でした。
 時間の短縮もあったので、おそらく極端に凝縮された話が聞けるだろうと予測していたのですが、立木氏の講演の能力は私の想定の範囲外でした。
 「なんか」・「まあ」・「あの」・「ああいう」・「そういう」・「なんというか」という言葉が頻繁に使用されたため、情報量が少なく、またゆっくり喋っている割には非常に聞き取り難かったのです。まあ私も仮に何の準備も無いままいきなり「英語で日本政治について30分間話してみろ!」と言われたら、“Let me see...”だの“Well...”だのを連発して時間を稼ごうとするでしょうから、余り他人の事をとやかく言えた立場ではないかもしれませんが・・・。
 話の内容は大体以下の通りです。
 『日銀総裁とのスピリチュアル対話』(幸福の科学出版・2012)の紹介。自分の人生、特に日銀に招かれていたけど蹴った話。宗教の力が弱く、宗教に言及しなくても日常を生きていける日本はおかしいという話。平成の鬼平こと故三重野康氏の霊との対談本ももうすぐ出るという話。死んだ後も大切だという話。国防の話。明治維新の志士も宗教的情熱に動かされて頑張ったという話。
 内容が薄すぎて、そもそも批判する気にもなりませんでした。
 ただし題名だけはそれなりに評価しました。「宗教による『日本の常識』破壊!」だそうです。どうです?なかなか人を惹きつける題名でしょう?それに「この題名に相応しい内容の演説を考えてこい!」と言われたら、常識破壊と非常識の区別もつかないような猿でもない限りは、一定レベルの原稿が自然に書きあげられるのではないでしょうか?
 そして内容が残念だっただけに、却ってますますこの題名の見事さが浮き彫りになりました。
 最後は質疑応答も無いまま終わりました。
 その直後のアナウンスでは総長の講演を聞きたい人はそのまま座っていても良いという話だったのですが、しばらくすると特に謝罪も無いまま別の人物の声で、外で並んでいる人が大勢いるので総入れ替えをするという話になりました。総長の話が聞きたければその列の最後尾に並べとまで言われました。炎天だった事もあり、流石にこの時点で私は総長の講演を諦めました。
 誰がどの程度悪かったのかの内部事情が不明だったので、私は上品に立ち去りました。
 しかし、どうやら私と同じ計画のために立木氏の話を二階席で我慢していたらしき人々は、不満と怨嗟の声を吐き、中々立ち上がろうとしませんでした。まあ気持ちは解ります。信者だと誤解されるリスクを背負いながら耐え忍んだ時間の対価が、急に零どころか負になったのですから。宗教的に例えるならば、天国への嶮しい道を踏破したと思い込んだ次の瞬間に地獄に叩き落された様な気分だったのでしょう。
 私とて、審判の日にも本日と同じ程度に慈悲深いとは限りません。

日銀総裁とのスピリチュアル対話

日銀総裁とのスピリチュアル対話