いっそ、政治的アピールを認めるスポーツ大会を併設してはどうだろうか?

 前回のオリンピックでは、一部の選手の政治的アピールが話題となった。当時の日本のネットの言論では、その選手や選手の祖国を強く批判する声が広範囲から聞こえてきた。
 しかし日本国内でいくら筋の通った批判をした所で、問題が解決される訳ではない。また同じ様な事件が起きる可能性は残されたままだ。
 案外な事に、一番参考になったのは、「もうあいつらはオリンピックなんか出ずに、勝手に独自の大会でも開いていろ!」という差別発言まがいの放言の方であった。これは前回の記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130205/1360074740)で、ノーベル賞の権威に挑んだ連中の中で一番下らなかった孔子平和賞が、ノーベル賞の権威を揺るがす手法を考える際に一番参考になったのと似ている。
 既存のスポーツ大会でナショナリズムを昇華し切れない民族がいるなら、帝国主義的にその民族の民族性を無理に外側から改変するよりも、既存の枠組みの修正案を考える方が道徳的であるし安上がりだ。また「スポーツに政治を持ち込むべきではない。」というのは緩やかな合意に過ぎず、普遍的な真理という訳ではない。
 だから私は、「いっそ、政治的アピールを認めるスポーツ大会を併設してはどうだろうか?」と提案する。
 世界に向けてアピールしたいメッセージがある個人や集団は、この大会を大いに利用すれば良い。そういう別枠を用意しておけば、オリンピックやパラリンピックで無理に政治的アピールをしようとする選手は減るだろう。そして、一部の人々が今まで解消出来ずに鬱積させていた不満が解消されれば、世界はより平和になるだろう。