公開シンポジウム「西洋作家の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて」に行ってきました。絵馬も奉納しました。

 明治神宮で開かれたシンポジウム「西洋作家の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて」に行ってきました。
 基調講演者である平川祐弘氏がフランスで出した『西洋作家の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて』の日本語訳がこの春に出るとかで、それを記念したシンポジウムでもあったようです。
 私はノートを持っていかなかったので、レジュメの余白に自分が知らなかった事だけを書きとめました。
 アフリカ各地から集められた黒人奴隷達が、フランス語を基に作った共通語「クレオール語」を最初に採取したのも、黒人に関するルポタージュを最初に書いたのも、ラフカディオ=ハーンだったそうです。そしてハーンが日本に来ることになった原因も、その業績が買われての事だったそうです。
 明治時代に日本人から無視されていた日本の地方都市を最も鮮やかに描写して記録化したのもハーンであり、一般に日本の民俗学の祖とされる柳田国男の仕事もハーンに影響されて始まったとの事。
 第二部では、ミッシェル=ワッセルマン氏のポール=クローデルの話が面白かったです。日本文化を高く評価した事で有名なクローデルですが、強いカトリックの信仰を持っていたため、大の仏教嫌いだったそうです。このため日本について褒める場合も、その神道的側面が重視された上、「神道」という単語はほとんど使わなかったそうです。

 シンポジウムの後は、絵馬を奉納しに行きました。
 以前明治神宮を訪れた際、絵馬に書くべき願いの例として示されていたものの中に「皇室の弥栄」というものがありました。しかし掲げられていた絵馬は、個人的な願い事ばかりでした。「日本の右傾化」とやらを心配している人は、この惨状を見てからにして欲しいものだと思ったものです。
 以来、「誰もやらないなら、いっそこの私が自らやってやる!古人も「天勾践を空しうする莫れ、時范蠡無きにしも非ず」と言っているではないか!」という気持ちがわいてきました。
 ところで、中興を果たした途端に部下の功績をさっさと忘れる様な人物を勾践に擬えるとは、児島高徳も中々味な真似をしたものです。私も晩年には范蠡の様に大金持ちになりたいのですが、児島もそうだったのでしょうか?
 備え付けのペンではなく、持参したペンで文字を書いたのですが、やたらと滲みました。まあ筆跡が誤魔化せたので良しとします。

 出来たー。
 八紘一宇の精神に基づき、人間界の共通語(?)を使いました。
 夜は最近開かれた精養軒の分店、「上野精養軒 3153店」(http://www.seiyoken.co.jp/whats_new/2011/09/3153.html)の個室で友達とパーティーを楽しみました。