ささげもの

「俺にはその死神しか友達がいなかったんだ。だから死神まで取り上げないでくれ。」
 俺は必死でそう心の中で叫んだ。口に出す程の勇気が無かったから。
 死神には表情というものがないが、仕草というものがある。その仕草から類推するに、死神は死神処刑人よりも寧ろ死神捕獲人の方を恨んでいるらしかったし、そしてそれ以上に不甲斐無い俺を恨んでいるらしかった。
 俺には肝心な時に周囲を忘れて黙考してしまう悪い癖があるので、「護良親王もこんな気分だったんだろうか?」と、つい考え始めてしまった。そして「それは判らない。」という結論に達した頃には、目の前には死神処刑人に解体された後に死神加工人によって気味の悪い芸術品と化した死神が横たわっていた。
 それにしても不気味な芸術を創る連中は、何故こうも眼にこだわるのだろうか?人間の他の部位も切り取って展示するとそれなりに気味が悪いmonodaga、眼は眼球だけ取り出さなくても気味が悪い。飛び出す前から内部が内在しているとでも言おうか。いつもヌメヌメとしていて体液をだらだらと垂れ流す、この恥ずかしい器官を、誰もが隠そうとして黒眼鏡をかけている。
 その点、死んだばかりの魚の眼だけはどことなく安心が出来る。何も見ていないようでいて、全てを見ている。あの眼はきっと神様の眼なんだろう。
 いつか病気が酷くなった頃に、俺の口からはだらだらとだらしなく血液が漏れるだろう。その口は眼であり、流れる血はキリストの涙なのだ。
 皮膚も荒れて不気味な腫瘍が出来て、そこからジメジメとした体液が漏れるだろう。その腫瘍は眼であり、流れる体液は世界の涙なのだ。
 そんな妄想に耽っている事ぐらい御見通しさ、という眼で、死神の眼が俺を見ている事に、俺は気付いているという事を、死神の眼は知っている。この事象の表記は無限に連鎖し得る。今ここでそれをしないのは、する意味がないからである。実際には無限に往復しているのである。眼と眼が見詰め合うという事はそういう事であり、これは合わせ鏡よりも遥かに怖ろしい事なのだ。
 やがて俺を貧困が襲い、この芸術品も取り上げられてしまうだろう。その瞬間が来るのが怖ろしいが、だからこそ俺はその救いの瞬間まで、死神の眼を見続けようと思う。そうすれば案外元が取れるのではなかろうか?
 俺の余命を仮に50年とする。借金もせずに大過無く寿命を全うした場合、俺は1日に1分間程度しか死神の眼を見ないだろう。すると1年に365.25分しか見ない事になる。その50倍は18262.5分だ。時間にして304.375時間という事になる。だから今から1日15時間づつ見つめ続ければ、僅か6.0875日間で一生分の芸術鑑賞が出来る事になる。
 俺には本当はあと6日しか残されていないが、0.0875日というのは日付変更線の位置を操作すれば、十分に誤魔化せる程度の誤差に過ぎない。
 そう考えた瞬間、死神の眼がまばたきをした。これは大変な事になった。まばたきの頻度を集計し、先程の計算の誤差を修正しなければならない。その際には、俺自身がまばたいたために数え損ねたまばたきの数を加えなければならない。だがそのためには、俺自身のまばたきをまず計算しなければならない理屈になる。だが俺にはそんな面倒な事は出来ない。
 そう、俺は昔から面倒事が嫌いだった。だから好きでもない死神を追い払う事も出来ずに、そいつを友達だという事にして今日まで来たのである。このフィクションに俺自身が長年騙されていたというのに、死神は一度も騙されなかったのである。だがもしも俺がそのフィクションを面倒くさがらずに口に出していたら?
 ゴミの様な姿をして生まれてきた人類だが、それでもゴミに相応しい堅実な人生を送っている。だが俺は!俺はただ己を忌まわしく思うだけで、ゴミである事を本当の意味で受け入れていない。その高慢さ故に、俺はこの部屋から出られなかったのだし、また6日後に出て行かなければならなくなったのである。
 実はこの部屋は地下にある。だから通行人を物理的に見下す事も出来ない。それでももうすぐ夜が明ける。
 今日は死神が死んだ、記念すべき日だ。だから目が覚めたら、日の出を見に行こう。心が洗われれば、私も社会的な生活が出来るだろう。そうなったら落ち着きのない後輩を叱りつける事も可能だ。
 今から安らかな眠りに向かうミネルヴァの梟と吸血鬼に、小唄を捧ぐ。