ドラマ版『デスノート』第一話感想

 ドラマ版『デスノート』(http://www.ntv.co.jp/drama-deathnote/)第一話を視聴したので、現時点での感想を書いておく。
 
【加点要素】
その1 夜神月を凡人にした事。
 これについては、やたらと批判をしている人も多いが、月とLの能力がほぼ同等で月のみがデスノートを所有しているならば、勝敗は原作通りにせざるを得なくなる。「ドラマ版ではどっちが勝つのか、それとも案外引き分けに終わるのか?」と期待をもたせるには、これはかなり良い改変である。
その2 凡人がデスノートを使いまくるに至った件の説明が上手。
 デスノートで殺した最初の二人の犯罪者について、被害者を月本人やその友人や家族に改変した事で、心理的障壁を下げた。さらには、自分が使わないと悪人の手に渡ると脅される。テイラー殺害の時も、傍でリュークが煽りまくっていた。自分も凡人なので理解出来るが、ここまで追い詰められなければそうそう凡人は変われるものではない。
その3 殺害時刻を変更した動機を凡人らしくした。
 原作では「捜査本部の状況は御見通しだ!」と脅して敵の駒を減らすため、月は挑発的に殺害時刻を分散させ始めた。ドラマでは単に操作を攪乱出来ると思い込んで凡人なりに頑張った結果として殺害時刻が分散された。これも設定に合わせた見事な改良である。
 
【減点要素】
その1 神の視座を持つかのような翻訳能力
 ドラマ版の月は、まだリュークに会う前から、デスノートのルールを翻訳する際に、時間に関して「人間界単位で」という補足まで加えて意訳していた。はっきり言って、これは神の領域である。
その2 「法」の要素が減ったライト
 月の専攻が経済学に変更されていた点。偏差値を下げるにしても、やはり法学の徒にして欲しかった。『デスノート』は、ある意味では、主権の統一性を標榜する近代主権国家の法秩序と、「神の法」(または「仏法」)が国法に対して優越的に併存していた中世的法秩序の戦いを描いた作品なのであるから、その図式は維持して欲しかった。
 そもそも「ライト」の名も、「光」と「書く」と「法的正義」という三重の意味を併せ持っているというのが、私の解釈である。
その3 私生活でも厚化粧。
 自宅でリラックスしながらインターネットを見ているのに、何故か厚化粧をしたままの弥海砂