「極東」という自称は自虐的側面より他虐的側面の方が強いと思う。

 「欧米人の世界観を真似て「極東」と自称することは自虐的だ!」という主張が世にある。
 これについては自分はほんの少しだけ同感しているが、大した問題だとは思わない。
 赤道を南北の中心とし、旧グリニッジ天文台を東西の中心とするという決定は、キリスト暦の採用以上に世界中の人々の同意を得ているからである。
 この単語については、寧ろ他虐的側面を問題とすべきである。
 「極」という文字には、「一番」という印象が付き纏う。
 たかが東経135度近辺の住民達が「極東」と自称するというのは、「この地域こそが人類にとっての実質上の最東端たる日出ずる所であって、ニュージーランドの連中なんて考慮の対象外である。」と主張しているに等しい。
 他に「ファーイースト」の適切な訳語が無いのなら仕方が無いが、同格の単語として「近東」・「中東」という訳語を作った以上、本来対応するのは「遠東」であろう。