『牙狼神ノ牙-KAMINOKIBA-』

 冒頭で、老学者と若い女性が、牙狼シリーズの世界観と本作特有の設定を、自然な会話の形で説明してくれた。ホラーは箱舟「神の牙」に乗って月に行くと無敵の存在になるのだそうである。
 この二人の会話シーンは、単なる説明に終わらず、絶対にオチがあるだろうと身構えていた。
 だが身構えていた私ですら想定外のオチがあって驚いた。
 この場面は映画全体を象徴している。とにかく予想外のどんでん返しが何度も何度も繰り返されるのである。
 次に三人の魔戒騎士の実力を描くため、それぞれが模擬戦闘の訓練やホラー狩りをするのだが、敵のデザインは三者とも咬ませ犬には勿体ない程であり、1500円の入場料でこれだけ楽しんでいいのか不安になる程であった。
 途中で大量の戦闘員が出てきたときも、一人一人のファッションが異なっており、これも大金がかかっていると感じさせられた。
 なお道外流牙はまだ最弱設定を引きずっているようであり、歴代牙狼全員が突破した試練をまだ終えていないという設定であった。
 本題となる話は、まるで小さな事件であるかの様に始まり、中盤で一気に大急ぎで解決しなければならない重要な事件だと判明する仕組みになっていた。
 同じくジンガと戦った『-GOLD STORM- 翔』では、大事件で時間的余裕もあったのに各地から援軍が来なかったのが難点であったが、今回はその種の批判が一切通用しない脚本に仕上がっていた。
 テレビシリーズの映画にありがちな、準レギュラーを一瞬だけ無理矢理登場させる場面もあり、その場面も番犬所がハルナやダイゴに別の仕事を与えていたという、この「最初は小事件だと思われていた」という設定に一役買っていた。
 途中で主人公達全員が鎧を失い、通常ホラーに苦戦しつつも、生身のまま三人でホラーを倒す場面があった。
 この場面は単に感動的だっただけではない。
 ここで大昔の魔戒騎士達は鎧なんか装着せずにホラーを倒していたという、『妖赤の罠』以来の懐かしい設定が語られるのである。
 昔から小説も含めて牙狼シリーズを応援してきた者への褒美の場面である。
 またこの設定を語るのが名家出身の楠神哀空吏なのも、しっかりとツボを押さえている。
 だが何より素晴らしいのがジンガである。テレビ版ではラダンの復活と運用というこだわりに束縛されていたが、今回はそうした我欲から解放され、純粋に戦闘を楽しんでいた。しかも力馬鹿になったのではなく、他人の謀略一切を全て見抜いた上でそれを超越して行動していた。とことん格好良かった。
 彼の望みは勝利ですらなく、流牙ともう一度一騎討ちをしたいというものだったので、流牙がホラーに奪われた鎧を返却すらしていた。
 そして最後は月に向かう宇宙船「神の牙」内部での、議論をしながらの一騎討ちとなった。
 「雑魚に神輿として担がれているが、実は主人公に塩を贈る、戦いだけが目的の男」。この設定、どこかで聞いた事があると思ったら、『逆襲のシャア』のシャアであった。
 この「神の牙」には、『MAKAISENKI』で布道シグマが制作したリグルに似た顔がはめ込まれていた。これもシグマの負の遺産なのかもしれない。
 あるいはまた、「神の牙」とは、「メシアの牙ギャノン」と対になる存在なのかもしれない。だから顔が似ているのかもしれない。『MAKAISENKI』は、本来はホラーのものであるメシアの牙を人類のために利用しようとして失敗する話であったので、今作は逆に神のものをホラーが活用しようとして失敗した話だったと考えることもできる。
 以上、長年のファンには随喜の涙が流れる様々なセルフオマージュを紹介してきたが、最後の最後で最高のファンサービスがあった。この内容については秘密にしておきたい。
 以上の主張を纏めると、「主人公も敵も格好良い」・「脚本にスキがない」・「何度も意表を突かれる」・「製作費も豪華に使っている」・「往年のファンへのサービスも多い」となる。ついでに主題歌もヨシ。よって百点満点の出来栄えである。