対馬の観音寺の観世音菩薩坐像盗難事件に関して思う事色々

 韓国の犯罪者による日本の文化財窃盗事件については、数年前から噂としては聞いていた。しかし怪しげな嫌韓情報と玉石混淆になっていたので、恥ずかしながら私は長らく無視していた。私がこの噂を信じ始めたのは、今年の初め頃に、この問題を研究した菅野朋子著『韓国窃盗ビジネスを追え 狙われる日本の「国宝」』(新潮社・2012)が朝日新聞社系の雑誌で好意的に紹介されているのを見てからである。
 それから直ぐに、対馬の観音寺から盗まれた観世音菩薩坐像に対して韓国の寺が所有権を主張したり、韓国の裁判所が像の日本への返還を差し止める決定をしたりという事件が起きてしまった。
 これについて色々と思った事を書いてみたい。
※その1 仏弟子が怒るのはみっともない。
 ニュースを読んでいると、日本の僧侶や住民の怒りが伝わってくる。だがそもそも仏教とは、「怒り」等の感情を抑制するための技術ではなかっただろうか?そして「これは自分のもの」といった私的所有の観念の虚妄さを告発するものではなかっただろうか?
 真の仏弟子ならば、盗まれた菩薩像への過度な執着は捨てるべきだろうし、所有権を主張する浮石寺の僧に対しては、真理に至らない新参者として憐れんでやるべきではなかろうか?
 また、切っ掛けこそ愚かな所有欲や対日国粋主義であれ、これはより多くの韓国人が仏教に目覚める機会でもある。不偸盗戒を守る在家信者が増えれば、日本に財物を盗みに来る韓国人は減る計算になる。未来の百億円を守るために、観世音菩薩は今身代わりになってくれたのかもしれない。
 誤解を避けるために書いておくが、法律家・古美術愛好家・国粋主義者等の立場で怒るのは一向に構わない。とにかく、仏弟子の立場で怒るというのがみっともないのである。
※その2 所有権・占有権の観念の内容は、普遍的ではない。
 ローマ法に由来する所有権・占有権の観念は、全人類普遍という訳ではない。
 確かに各国の成文法のみを見て、各国の知識階級とだけ付き合っていると、ローマ法が世界征服に成功したと感じる事も多いかもしれない。
 しかしどの地域にも長らく独自の所有・占有の観念はあったのであり、それが多かれ少なかれ尾を引いているものである。
 現代の民法では、売買契約によって所有権は完全に移転してしまう事になっている。資格試験のためだけに法学を学んだ者は、ここでストップである。だが学習を進めて東洋法制史に触れると、やがて売買後も売主が何らかの影響を対象物に及ぼし続けるのが常識だった地域・時代の話が出てくるだろう。
 韓国人と深く理解し合いたい人も、韓国人との戦いを効率的に進めたい人も、先ずは東洋法制史研究が築いてきた膨大な知の遺産から、彼等の伝統的な所有・占有の観念を学ぶべきであろう。
 「どーせあいつらには言葉が通じねー!」と吠えている者は、ある意味では深い理解のための最初の一歩を既に踏み出していると言える。もう一歩進めば、「近代的な権利関係の観念の一本槍では、相手の主張は全く理解出来ないし、こちらの主張を通すのも難しい。」に行けるだろう。
※その3 守りきれないなら上手に手放せ
 狙われそうな文化財を持っていて、守りきる自信が無い場合は、いっそ先手を打って上手に手放してしまうのも手である。
 警備の厳しい本山に移したり、韓国の良識的な資産家に売ったり、欧米の博物館に預けたりといった手法が考えられる。
 悔しいかもしれないが、人類の遺産がアンダーグラウンドに流れてしまうよりかは余程良いだろう。

韓国窃盗ビジネスを追え―狙われる日本の「国宝」

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