期間限定付きの独占的祭祀権を創設するという手段を考えた――高橋哲哉著『靖国問題』提案の修正案

 高橋哲哉著『靖国問題』(筑摩書房・2005)は、靖国神社をめぐる数多くの過去の愚論を斬りまくる痛快な書であった。
 但し私は、最後の最後で登場した著者自身の提案(235ページ)だけはずっと気に入らなかった。
 ここには「合祀の取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。」とある。
 だがそもそもここでいう「遺族」とは誰か?
 祭神の血縁者が一人でも取り下げを求めれば、他の血縁者全ての意思を無視するというのはおかしい。
 では血縁者の多数派が「遺族」なのか?しかし「血縁者」の定義は、どこかで際限を作らなければ世界中皆が親戚になってしまうものである。
 では民法897条に基づいて独占的に祭祀財産を受け継いだ者が遺族なのか?しかしこれは、寧ろ普段高橋氏と相性の良い左派から封建的であると猛反発を喰らいそうであるし、外国人に類推適用するのは難しそうである。
 またこんな「内外の遺族の要求」が宗教に介入出来るとすれば、天皇天照大神八幡神等の祭祀権を利用して、全国の神社に対して強力な支配権を持つ事になるかもしれない。他の英雄・著名人・名家の子孫も軒並み台頭する。これまた、左派からの反発が予想される結末となる。
 またそもそも、祭祀については遺族の意思だけでなく死者の自己決定権も重要であるのに、そこに思いが及ばなかったというのも残念である。
 以前井沢元彦氏が使っていた論法の受け売りになるが、遺族の意思至上主義では、靖国神社に祀られたくないと言い残して死んでいった人物をその遺族の許可を得て靖国神社に祀れる事になってしまうので、これも左派にとって必ずしも有利ではない結果を招く。
 だから私は本書を、「靖国神社論争に関して新たな地平を切り開く事は出来なかったものの、他者への優れた批判を通じて論争には貢献した書」と位置付け、80点程度の評価を与えてきた。
 
 だが、昨日面白い微修正案を思いついた。
 「「遺族」の定義が曖昧なら、これから限定すれば良いではないか!」と気付いたのである。
 具体的には、著作権に似た「自己の生存中から死後50〜100年程度まで続く自己の祭祀権」という法概念・法制度を創ってみたらどうだろうか?
 相続については、遺書が在った場合はそれに従う。遺書が無かった場合にどうするかについては、新たに法定相続の規定を創設する。即時消滅させるなり、独占相続させるなり、分轄相続させるなり、所属国や所属地域に相続させるなり、皆でこれから話し合えば良い。
 権利が50%ずつに分かれて祭祀のあり方をめぐる話し合いが難航した場合の対策についても、立法で何とか出来そうである。「多数決で引き分けたらこの人の意見を優先せよ!」という規定を、皇室典範の様な形式で作れば良い。
 そして権利消滅後は、死者は人類の共有祖先として、各自が好き勝手に祀って良い事にすれば良い。
 遥か遠い祖先にも深い思い入れを持っている人にはなお不満であろうが、それでも今よりは良いと思われる。
 逆に家制度の復活を危惧する声もあろうが、存続期間が100年程度ならさして心配する必要は無いだろう。
 
 この妥協的な修正案ならば、上述の遺族や自己決定権をめぐる問題はほとんど解決出来るだろう。憲法第20条に抵触する心配も、高橋原案よりは低下する。

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)