昭宣公ってかっこういいんです。

 「伊霍之事」という言葉がある。これは臣下の身でありながら君主を廃する行為を意味する。
 「伊」とは、伊尹という人物を指す。彼は「阿衡」という地位で殷に仕え、殷王の太甲を追放して反省を促したとされる。なお、反省後の太甲は復位している。
 「霍」とは、霍光という人物を指す。前漢の昭帝に仕え、その後継者の劉賀を追放し、宣帝を立てた人物である。こちらの故事では、劉賀は復位出来ないまま死亡している。
 日本の「関白」という称号は、宣帝の霍光に対する待遇を語源としている。
 さて、藤原基経が関白の称号を与えられた時期については、陽成天皇の御世とする説と、光孝天皇の御世とする説と、宇多天皇の御世とする説があるらしい。
 陽成期であるとするなら、若い帝がその称号の意味を理解しないのを良い事に、基経を霍光に擬える形で廃立計画が着々と準備・予告されていた事になる。
 光孝期であるとするなら、基経に感謝する意味と陽成上皇への牽制の意味とを兼ねて、光孝天皇が積極的に自己を前漢の宣帝に擬えた事になる。
 『神皇正統記』でも、基経は霍光に喩えられている。基経の「昭宣公」という諡号も、昭帝と宣帝を補佐した霍光を匂わせているのかもしれない。
 以上により私は、阿衡事件において基経は「自分は霍光であって伊尹ではない。」と言いたかったのかもしれないと考えている。
 「基経=阿衡=伊尹」なら、「陽成天皇=太甲」となってしまい、陽成上皇の復位の下地を作ってしまう事になる。「基経=関白=霍光」であってこそ、「陽成天皇=劉賀」の印象が成り立つのである。
 後に清和・陽成系統の子孫達が強大な武力を擁して天皇家を凋落させるのは歴史の皮肉である。
 余談だが、基経の曾孫に「藤原伊尹」という人がいる。彼は冷泉天皇を退位させている。そして冷泉天皇自身の復位こそ無かったものの、子供達が花山天皇三条天皇として即位しているので、これは実際に霍光の故事より伊尹のそれに近い。

神皇正統記 (岩波文庫)

神皇正統記 (岩波文庫)