濤川栄太著『理想の日本人』(中経出版・2007)

理想の日本人

理想の日本人

評価 知識1 論理1 品性1 文章力1 独創性1 個人的共感1
 本書の最大の特徴は、同じ様な内容の話があたかも初出であるかの様な筆致で繰り返されている事である。当初は悪質な行数稼ぎを意図的に行っているのかとも思ったが、157ページに限っては序章で一度紹介した話題を再登場させるという断り書きがあるので、他の繰り返しについては本当に再登場である事を忘れていた可能性が高い。
 ザビエルが日本人を評価した発言は、1ページと32ページに二度登場する。縄文時代に戦争が無かっただの日本史にはジェノサイドが無いだのという話は、16ページと31ページで二度登場する。フランス革命の死者が二百万人で明治維新の死者が二万人だという話は、24ページと129ページで二度語られる。三内丸山遺跡を根拠に縄文時代を称える言説は、40ページと149ページで二度行われている。パウロの名言の引用・賞賛は、68ページと135ページで二度行われている。「滅私奉公」は駄目で「活私奉公」が良いという意見は、78ページと111ページで二度表明されている。石橋湛山にもっと長く首相をやって欲しかったという著者の願望や湛山の植民地経営反対論の紹介は、88ページと144ページに二度登場する。
 なお、152〜154ページは総括的な意味を持っているので、ここは構成上の理由から許容し得る繰り返しだと判断し、批判を控えた。
 またもう一つの全体を貫く特徴は、様々な宗派があるはずの仏教を一枚岩の教えであるかの様に扱い、経典を引用せずに「仏教では・・・と教えています。」としばしば断言するという事が挙げられよう。
 特に酷いのが87ページである。宮沢賢治の利他精神に対して「もう少し釈尊の、仏教の勉強をするべきでした。」という評価を下しているのだが、その根拠は、名前も不明な「弟子」に対して釈尊が魚・肉・野菜等の他の生命体を必要なだけ食べる許可を与えたという、出所不明のエピソードだけである。私が知っているだけでも、宮沢賢治は『ビジテリアン大祭』で、自身の分身と思われる主人公に『楞迦経』や『涅槃経』を用いた肉食反対の論陣を張らせている。せめてこれを乗り越えるだけの論拠を示して欲しかった。
 なお、39ページで「「働かざる者食うべからず」というのは、世界のすべての宗教に概念として入っていますから、これは普遍的真理と考えていいでしょう。」と書いている所を見れば、著者の仏教関連の知識が相当怪しいものである事が判る。
 以下、個別の問題点を厳選して列挙する。
 「はじめに」で著者は、「世界的に定評のある「日本民族のよきDNA」をどのように継承し、発展させていったらいいのでしょうか。それを読者のみなさんとご一緒に考えるのが、本書出版の狙いです。」と語っている。著者の言う「DNA」とは、3・10・16・22・31・37・138ページを見るに、古くから受け継がれてきた文化的な美点を意味する様である。こういった後天的なものの比喩に遺伝情報を用いるのはよろしくない。また仮に本当に「平和志向のDNA(16ページ)」・「平和を尊ぶDNA(22ページ)」・「平和を希求するDNA(31ページ)」の実在を信じているのなら、それを継承する方法は「生殖」である。
 「はじめに」には、「死と直面して学んだことは、「人生の目的は何か?」それは『自らをたゆみなく進化させ続けること』である」と気づかされたことです。」ともある。人生の目的に気づかされたことを学ぶという行為が一体どういう行為なのか、私には想像もつかない。そして25ページで「私の最終的な人間観」とやらを発表しているのを見るに、本人からは今後もたゆみなく進化していく気概が感じられない。
 11ページ、「歴史上でも「直接統治」をしたのは、後醍醐天皇(第九十六代、在位は一三一八〜三九年)のほかは数えるほどしかありません。」とある。しかしながら、「数えるほどしか」ない所に一人加わっても、やはり「数えるほどしか」ないだろう。ここは、「のほかは」を「をはじめ」に書き改めるべきである。
 16ページには「近代以前は、海洋国家である利点は、外敵の侵攻の恐れがないということでした。」とある。その一方で、128ページには「祖国・日本が史上初めて、海外からの侵攻の危機にさらされたのは「元寇」(一二七四・八一年)ですが、」とある。元寇は近代の事件だろうか?また刀伊の入寇を知らないという事にも驚かされる。
 24ページ、プラトンの政治哲学を紹介した直後の記述に「その後のローマは、少数の人間で国を仕切りました。少数の護民官が知的エリート、政治的エリート、さまざまな意味で能力の高い人間を集めて、わずかな人数で仕切りました。」とある。これは最大限好意的に推測するなら、「執政官」を「護民官」と書き間違ったという事になろうが、おそらくそこまで高等な失敗ではなく、単なる妄想に過ぎないと思われる。
 39ページでは「日本人は勤勉な民族です。その伝統は、今でも受け継がれています。天皇が田植えや稲刈りをする皇室行事が継承されていますが、これはこの考え方の象徴でしょう。」と、祭祀の意味を随分と矮小化している。この有様では、155ページから始まる天皇制度への賛美も色褪せてしまう。
 40ページでは「三内丸山には五千年前から、大規模な建物が建っていました。それだけの技術と数学と幾何学天文学の原型とがあったわけです。」とあるが、この記述だけでは「天文学の原型」の証明にはならないだろう。前述した様に三内丸山遺跡関連の話題は149ページにも登場するのだが、そちらでは賞賛対象が「数学、幾何学、建築」へと改善されている。
 46ページでは徳川期の日本の識字率を称えた後、「当時の覇権国家・イギリスの識字率がわずか二〇%ですから、日本が世界一です。」と書いている。イギリスにさえ勝利すれば自動的に世界一になるという思考法は、33・81ページで好意的に紹介されている『国家の品格』の97ページにも見られた。
 73ページ、「インド以西の大地は基本的に砂漠です。」とある。興味深い地理感覚である。
 88ページでは「第二次世界大戦以前は極端に言えば世界中が二分されていた」としている。その二分とは、「植民地かもしくは被植民地」とのことである。しかし「被植民地」の意味と「植民地」の意味はほとんど同じである。
 105ページでは上杉謙信が敵に塩を送ったという話を「ああいう例は世界の戦争史上にあるでしょうか。」と反語を用いて称えている。ところがすぐこの精神を矮小化して、「つまり、外交の延長線上に戦争がありますから、まず外交でやる。」という、むしろ平凡とも言える戦争観へと収斂させてしまっている。
 108ページ、尾崎行雄について「位人臣を求めませんでした。」と語っている。尾崎は皇族ではないので、察するに「位人臣を極める事を求めませんでした。」とでも言いたかったのであろう。
 113ページ、乃木希典の息子が二人とも二〇三高地の攻防戦で戦死したかの様に書かれている。実際には、ここで死んだのは次男の保典だけである。
 115ページ、「負けたロシア皇帝は、ロシア軍の最高司令官であるステッセルを処刑しようとします。」とある。この書き方では、ステッセル中将がまるでロシア軍全体を統括していたかの様な印象を受けてしまう。あるいは本当に著者はそう思い込んでいるのかもしれない。
 119ページ、「五五二年に百済から漢字、仏教、儒教律令など、いろいろな文化が入ってきます。」とある。漢字・仏教・儒教律令・その他の文化が、西暦552年に一度に百済から入ってきたのだろうか?
 最後に一つだけ誉めておく。著者が本書の10年前に書いた『戦後教科書から消された人々2』では「お経」呼ばわりされていた「南無妙法蓮華経」が、77ページでしっかりと「お題目」と呼ばれている。これこそ著者の言う「進化」とやらであろう。10年間にわたる刻苦勉励の姿が目に浮かぶ。