木村尚三郎著『作法の時代 小笠原流を生かす』(PHP研究所・1996)

作法の時代―小笠原流を生かす

作法の時代―小笠原流を生かす

評価 知識1 論理2 品性1 文章力2 独創性1 個人的共感1
 副題は「小笠原流を生かす」となっているが、小笠原流の話はほとんど出て来ない。本文は間違いだらけで独断的で二元論的な社会評論が著者の思いつくままに延々と続けられるというだけのものであり、小笠原流は権威のために利用されただけである。
 「はじめに」では小笠原忠統氏とその著作から「多大な教え」をいただいた事になっている。本書は氏の死後に出版されているので、果たして本書が氏の意に副うものであったかは、確実にはもう判らない。ただし、最低限度の常識さえ持ってさえいる人ならば誰しも本書を重んじないであろうと、私は信じたい。
 35ページでは、ミッテラン時代のフランスのコアビタシオンと日本の自社連立政権のみを、バラデュール首相の所属政党を「保守党」と言い張りながら軽く紹介し、そこから「二大政党制という発想は、現代においてはまったく時代錯誤になってしまった。二大政党制とは、たとえば「自分たちは労働者の天国をつくりたい」、「自分たちは自由主義社会をつくりたい」という、相対立する明確な目的をもつ二つの党が、それぞれのビジョンを闘わせることによって成り立つものである。」と主張している。しかし、そもそもフランスも日本も二大政党の国であった訳ではない。また各政党が強烈なビジョンを持つという現象は政党内の妥協が少なくて済む多党制にこそ多く見られる現象であり、二大政党制においては中道勢力の票を求めて二大政党の公約が限りなく接近していく傾向がしばしば見られる。
 このページでは多様性と友愛とが説かれているのだが、本書における著者の諸々の提案は極めて善悪二元論的であり、多様性を排除している。
 例えば199ページでは、日本の家庭にナイフとフォークが定着しなかったと勝手に決め付けた上で、それを前提に「そうであるならば、レストランでも、ステーキなどは予め食べよい大きさに切ったものを、醤油を添えて出すべきである。」と主張している。仮に前提が正しかったとしても、家庭料理と外食産業とで文化を統一する必然性はどこにもなく、統一を欲する人が多数派になれば自然と和風レストランの数が増えるだけの事である。膨大な統計と知恵と日々の取引とが支えている産業の在り方に不満を持つ者は、自分が天才ではなく単なる少数派に過ぎない可能性をまず考慮すべきであろう。また、醤油を添えろと言いたいのなら、ナイフとフォークだけでなく洋風のソースも定着しなかったと言い張らねばなるまい。
 また204ページでは、浴衣を禁止しているホテルに対し、「日本のホテルなら、「寝間着で歩かれるのは困るが、浴衣は結構です」というべきである。」と主張している。浴衣が結構なホテルとそうでないホテルの二種類が在った方が便利であろうに、著者は何故自分の趣味を押し付けたがるのであろうか?性的な下心有っての事ではなく単に頭が悪いだけだと信じてあげたいものである。
 日本的なもの(だと著者が信じているもの)を、ある時には極端な詭弁で称揚する一方で、またある時には極端な詭弁で卑下するのも、本人はそれをバランス感覚だとでも思っているかもしれないが、二元論的思考法の必然的帰結であろう。
 111ページでは、日本の応接間を「よそ者用の、客を騙す場所である。」と言い張り、海外で行われているという客を居間に通すやり方を絶対的に肯定している。
 個々の欠点も紹介したい。
 84ページでは「昭和三十年代、四十年代」の若者が過去に冷淡だったとし、続く85ページでは「むしろ若い人の方が歴史や伝統や文化に関心をもつようになってきた。NHKテレビの日曜の大河ドラマも歴史ものばかりとなり、秀吉あり吉宗あり日野富子あり、信長あり信玄ありという具合である。」と語っている。「歴史もの」とやらの定義の範疇からどの時代から先を扱った作品を除外しているのかは知らないが、NHKテレビの日曜の大河ドラマは元来過去の時代が舞台であり、秀吉は1965年に、信長は1973年に、主人公となっている。おそらく著者の脳には、昭和50年代後半に近代を扱った作品が三年連続で放映された事が、自身がテレビを初めて購入した等の何らかの理由で強烈に印象付けられていたのだろう。そして、「以前にはきっと近現代を扱った作品が当然もっと多かったに違いない。」とでも決め込んだのであろう。
 103ページでは「水戸黄門性」なる造語が語られている。「我慢に我慢を重ねて、最後の五分間のところで堪忍袋の緒が切れて、「この紋どころが目に入らぬか」といって相手をすべて斬り、倒し尽くす。つまり自分のほうが絶対的に正しくて、相手のほうが絶対に悪いとして、相手を斬ってしまわなければ収まりがつかないのである。」だそうだ。しかしテレビの時代劇『水戸黄門』は、殺陣は印籠が登場する前に繰り広げられる場合の方が多いし、死者もほとんど出ない。おそらく著者は、『三匹が斬る』辺りの終盤の斬り合いを数回視て、「これが巷でよく馬鹿にされている、黄門様・介さん・格さんの三人組が暴れるとかいうあの番組か!」とでも思ってしまったのであろう。
 そして「「ケンカ両成敗」というように、すべての点で善の人や、すべての点で悪の人はこの世の中にいないはずである。」と、喧嘩両成敗という制度が部下同士の自力救済を禁止して大名権力を打ち立てるために作られたものである経緯を無視して、自分の事はさて置き偉そうに善悪二元論を批判している。
 しかも『鉄腕アトム』がアメリカで破壊的・暴力的だと言われたという話を、アトムが善悪二元論に陥っていると指摘されたと無理矢理決め込み、知ったかぶってアトムの内容を「絶対的にいいほうと絶対的にわるいほうがいて、いいほうは悪いほうと交流しようとせず、最後は相手を全部破壊してしまう。」と解説している。暴力的である事と善悪二元論的である事とは必ずしも同じではないし、アトム等の日本の名作アニメの多くが善悪二元論に陥っていないせいでアメリカ等では解り難い作品としばしば見做されているという事は、少し調べれば判った筈である。よくここまで有名な作品について嘘八百を並べ立てられるものだと感心してしまう。
 174ページでは、江戸時代における「ありんす」等の遊郭言葉について、西欧の石工や江戸時代の博打打における仲間同士の符牒と同一視して、「博打打も遊女も、「旅する人」であった。」と言い張っている。しかし遊郭言葉はむしろ客との意思疎通を円滑にするために作られたものである。そもそも江戸時代の遊郭に勤めた遊女の多くは軟禁状態にあって、旅が出来る様な立場ではなかったであろう。おそらく中世における漂泊の遊女の実態を念頭に置き、江戸時代にもそれが主流として続いていたと思い込んでいるのであろう。
 181ページ、「ヨーロッパにおいて、このウィーン会議からあと、一九一四年に第一次世界大戦が勃発するまで、ちょうど百年の間、戦争のない状態が続き、政治秩序の大きな変更はなかった。」との事である。この普仏戦争を知らない著者は、東京大学文学部西洋史学科卒とカバーで紹介されているが、ここで学歴詐称の疑いが出てきた。詐称ではなかった場合の方が不名誉であろうが、詐称も十分に不名誉な事である。
 210ページ、「ヨーロッパやアメリカへ行くと、町にはキリストのような顔をした人ばかりが歩いていて、やはりどこかちょっと違和感がある。」とのことである。著者はキリストの顔を見た事があるのだろうか?単に欧米人が自分達の顔立ちに似せて作ったキリストの像を見ただけではないのだろうか?
 この話は、中国や韓国やシンガポールで著者が見た人の顔が日本人に似ていたから、「日本人もまた「われわれアジア人」という意識をもつことが大事」とかいう主張へとつながっていく。東アジアでの体験の感想を元にアジア全体を語られてはたまったものではないし、顔立ちを元にした共同体意識は少数民族や欧米からの帰化人への感情的な排斥運動に繋がりかねない。