木村和彦著『「国家の品格」を撃つ』(プレスプラン・2007)

「国家の品格」を撃つ

「国家の品格」を撃つ

評価 知識1 論理1 品性2 文章力1 独創性1 個人的共感1
 まずカバーからしておかしい。「まえがきより」として5ページの記述の一部が抜粋されてカバーに印刷されているのだが、本書には「まえがき」というものは存在しない。あるのは「はじめに」である。
 文字が大きい事もあり、1ページの平均的な情報量は極めて少ない。特に13〜19・62〜66・131〜175ページの挿話では行も短くされている。かといって内容は簡潔に『国家の品格』を批判したものではなく、「そこから何かを引き出してほしいと願う」(130ページ)という名目で批判対象とほとんど無関係とも言える様な挿話で字数を稼いでやっとこの状態なのである。潔くブックレット形式での出版を目指すか、どうしても新書の形式で出したいのならせめてもっと大量に文章を書く努力をすべきであったと思われる。
 『「国家の品格」を撃つ』と題しているものの、『国家の品格』の内容に立ち入って批判しているページは驚く程少ない。また51ページでは書道が日本にだけあるという『国家の品格』の嘘に賛同しているし、129ページでは嘘と矛盾だらけの悪書である『国家の品格』を「決して悪書ではない。」と評価してすらいる。本書の主題は、『国家の品格』の登場の背景にあると著者が拙い現状分析で思い込んだある種の風潮への嘆きである。
 文章力は極めて低く、日本語の体を成していない文がしばしば登場する。特に酷いものを以下に列挙してみる。
 27ページには、「偶然の一致だろうが、この詩が出たのは、大東亜戦争が始まった、すなわち日本人のすべてを戦闘的ファシズムへと導いていく、その最初の日に出された歌だということだ。」という文がある。
 29ページには、「提起されている問題の一つ一つに反論を出して、相違を示していくのは、学術書でもない作品に対しては大人気ないだろうが、それらを総合して考えたとき、惻隠の情、ひざまずく心といいつつ、これだけ蓄積されてきた欧米の学理の多くを、みんな屑籠に入れてしまえというふてぶてしさは、いったいどこから来るのであろう。」という文がある。ほとんど無関係な二つの話題を無理に読点で繋げて悪文をだらだらと書いている途中で自分でも混乱してしまった様だ。
 31ページの「明治に入って大日本帝国憲法が制定されてから、権力に向かって抵抗した美濃部達吉の活動は、帝国憲法を可能な限り拡大することに成功した戦前の代表者であった。」に至っては、本来何を言いたかったのかすら良く判らない。
 40ページの「この論述がなされたのと同じ時代、一九一一年に自由民権運動の極致とも云える幸徳秋水無政府主義者の処刑という、世にいう大逆事件が結末を迎えているが、運動が大衆化していない大正時代に民主主義を唱えることは、まさに命がけの活動だったと思われる。」という文は、著者の文章作成能力の無さと政治史への無知が複雑に絡み合い、摩訶不思議で幻想的な内容になっている。これは文法上の間違いがあるとは必ずしも断言出来ないが、文法に則って解釈される方が、著者にとってはより不名誉であろう。
 文法以外の問題点も列挙してみる。
 まず自分だけ了解している事項を省略してしまうという他者性の欠如が指摘出来る。32ページには「最近では、国民の知る権利として、有効期限や添加物の生産地を知らせようという新しい試みも生まれてきた。」とあるが、何の有効期限なのかが不明である。「賞味期限」の誤記というのも、流石に有り得なさそうである。
 意味の範疇に無頓着に単語を並列させる癖も見受けられる。67ページの「では農民や百姓町人の情緒とは、どんなものであろうか、そんな疑問がわいてくる。」という文を読んだとき、「百姓町人」とはどんな町人のことであろうか、そんな疑問がわいてきた。85ページには「東洋やインド」という記述があるが、著者にとってインドは東洋ではないのだろうか?120ページで「欧米の人々」と「アジアの諸国」とを並列的に表記しているのは、おそらく隠れた差別心のためであろう。
 128ページの「混沌としたカオス」といった同義反復その他の不適切な表現も多い。
 表記の不統一も問題だ。例えば、3ページ等で「太平洋戦争」と呼ばれている戦争と同じ戦争が、27ページでは特段の事情も無く「大東亜戦争」と呼ばれている。
 まさか、「祖国とは国語」と唱道している人物に打ち勝つには、まずは国語力を捨てるのが早道だとでも思ったのだろうか?
 個別の批判を開始する。
 3ページ、「はじめに」の第二段落でもう著者の見識の狭さが明らかになる。「暦とは天文事象である。そこでは地球の自転と公転とによって、一日と一年とが意味を持ち、一週間やひと月などは、生活に便利なように人々が定めた申し合わせに過ぎない。」とある。どうやら太陰太陽暦太陰暦の存在を知らないらしい。それとも月の公転は著者にとっては「天文事象」ではないのだろうか?
 いきなり暦の話から始まったのは、著者が60年周期で思想や価値観の変遷があるのではないか思ったからの様である。そして所謂「軍靴の音が聞こえてきた」系の論調を展開している。だが実際の60年前といえば、むしろ占領軍によって少なくとも日本軍の靴の音は遠のいていった時期ではあるまいか?先に60年周期説があってそこから演繹法的に日本の現状を分析するなら10年ぐらいまでの誤差は許容範囲かもしれないが、後述する様に著者は日本とドイツの現状から帰納法的に周期説を思いついたのであるから無理がある。またもしも十二支と十干から宗教的に周期説を思いついたのなら、1年の誤差もあるべきではない。まして6ページでは「ちょうどその時期に何の作意もなく一つの著書が出現するという、その振動の周期に、私の怖れは起因している。」とまで言い切っているのであるから尚更である。
 この60年周期説は、その後も24ページや78ページ等で繰り返し強調される。そうやって散々期待と不安を煽った挙句、結局88・89ページでは、科学的な説明の出来る人間の体温の変動やエリオットの株価変動の波動と違って、ファシズムの出現の周期は証明ができないからこじつけだと言い切ってしまっている。だがこれではこじつけにすらならない。「何故60年周期で類似の思想が流行するのか?」の説明が出来なくても、まずは実際に60年周期で類似の思想が流行したという諸国・諸時代の事例を大量に列挙すべきである。そうすれば多くの読者から一応の仮説として認められるであろう。
 なお実際に著者が曲がりなりにも紹介した他国の60年周期の事例は、最近のドイツの状況だけである。それだけを根拠に6ページでは「この周期の一致は偶然なのだろうか。」と言っている。それでいて『国家の品格』における天才の出る風土の条件に関する仮説については、90ページで「冗談話ならいいが、本気なのかな。母集団が小さすぎないかな。」と評しているのである。
 ところでファシズムの再来を怖れる著者は、丙午の年に生まれた女性を差別する風潮が再来するのを怖れたりはしなかったのだろうか?
 26ページ、高村光太郎の『危急の日に』の「いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。」の句を、「われら」を「我ら」に、「天と海とに」を「天と海に」に、「満ちる。」を「満ち、」に、それぞれ改竄してから引用している。そしてこの句に、「日本の風光明媚な風土を表していると考えて間違いはあるまい。多少神がかってはいるが、自然への回帰とも読める。」と、文脈も題名も無視した暢気な解釈を行い、無理矢理に国家の品格になぞらえている。
 続けて27ページでは藤原正彦を馬鹿にして「もちろん著者は、この詩があることさえ知らないであろう。」と安易に決め付けている。26ページの直後にこんな文が登場すると実に滑稽である。
 ところが86ページでは同じ句を、今度は岡倉天心の『東洋の理想』になぞらえるため、「日本を包む神明の気とは、神の再来を告げる極限の美である。それが日本全土を覆い国民すべてに神々しい光を投げかける。」と解している。
 31ページ、明治以前の日本について語る文の中に「日本の生産者たちは、租税納入の場合にだけ支配者と向き合った」という部分があった。徳政一揆も渋染一揆も知らないのだろうか?
 33ページ、「藤原先生、あなたがいま持っている諸権利や自由を、まず捨ててみたらどうだろう。」と提案している。曲がりなりにもホッブズを錦の御旗にして権利について語った人物に対し、ある権利を廃止しようと提案する際にはまず提案者だけが先走るべきではないかと提案するのは、相当愚かしいと思う。しかもこの提案については、如何にすれば先走る事が可能になるのかという疑問もある。現代の日本では、同ページで著者が挙げた様な基本的人権に関しては、一個人が自分だけは例外で良いと申請しても、受理はされないだろう。個人で出来るのは、せいぜい「権利の上に眠る」事ぐらいである。もしも「いや、私なら独自に考案した凄いアイディアによって、自分の基本的人権だけを見事に放棄出来る。」というのなら、木村先生、あなたがいま持っている諸権利や自由を、まず捨ててみたらどうだろう。
 36ページでは福沢諭吉の『学問のすすめ』の初篇の冒頭を評して、「農民は死ぬまで農民という封建社会で、人の品格は家柄血筋ではない、その人の努力によって得られる学歴知性によって決まると説いたのは、大変な冒険であったといえよう。」と書いている。『学問のすすめ』の初篇が出たのは1872年であるが、西暦何年までの日本を封建社会と見做すかは諸説有る難しい問題なので、この記述だけで著者を叩く程には私は狭量ではない。しかしその直後の37ページで、「封建時代の終焉からまだ二百年の日本人は、」という記述が登場するのである。四捨五入を用いて最大限著者に好意的に計算しても、著者の歴史観では遅くとも1857年には既に封建時代は終わっていた事になる。その後の封建的な制度・風潮は所詮残滓に過ぎない訳だから、これと対立するのはさしたる冒険ではあるまい。
 38ページでは『国家の品格』における民主主義論やエリート論を要約し、「このような意見は、今、初めて藤原氏によって唱えられたものではない。」と主張している。そこまでは良かったのだが、その後は古代ギリシャから始まる政治哲学史には全く触れずに、吉野作造民本主義だけを紹介した挙句に「九十年前の昔」とさも大昔の事例を見つけてきたかの様に誇っている。
 52ページ、「「国家の品格」の主要テーマである武士道については、一八九九年に出された「武士道」という新渡戸稲造の著作なるものが現在、奈良本辰也氏の訳で出版されているが、その作品と内容は大同小異であると思われる。」とある。『武士道』の日本語訳は数多くあるが、奈良本辰也氏だけを挙げているのは、おそらく著者がそれしか知らなかったからであろう。「著作なるもの」とあるが、「伝新渡戸稲造著・奈良本辰也訳」とでも書いてあったのだろうか?それとも、「なるもの」という言葉の意味は解らなかったものの、それをつけると文章に何となく重々しさが出るとでも思ったのだろうか?
 53ページで「おそらく将来を背負って立つ若者のための修養書として「武士道」は書かれたものであろう。」とある。新渡戸の人生やその著作について完全に無知であったとしても、「奈良本辰也氏の訳」が必要だった事から「何か変だな。」と気付くのが普通であろう。それとも主題が武士だけに擬古文で書かれているとでも思い込んだのであろうか?
 55ページ、「支配者が固定された江戸時代では、武士は家柄身分によって報酬を得る日本最初のサラリーマンとなる。」とある。律令時代初期の貴族は荘園が成立するまでの間は霞でも食べていたのだろうか?
 75ページ6行目には「私はここで、藤原氏とは逆に「情緒より論理を」という提案をしたい。」とある。その後、日本人の現在の能力が情緒に偏っていると思うとした上で、9行目では「この歪みを是正するために「論理より情緒を」ではなく、「情緒と論理は車の両輪」と提言したい。」と主張している。一般論が「情緒と論理は車の両輪」だから日本の現状の「歪みを是正するために」「情緒より論理を」と極論を提言するのなら理解出来るが、先に極論を表明した上で現状の是正のためにはやや弱いかと思われる中庸的な提言を行うというのは奇妙である。
 92ページでは「スーパーリベラリズム」という耳慣れない単語を「スーパーナショナリズム」と並列させている。それは「スターリンのような」ものらしい。95ページにも「スーパーリベラリズムであるスターリン主義」とある。スターリニズムのどこがリベラリズムなのか?
 98ページには「冒頭に掲げた東郷平八郎元帥という人は真面目な方であった。」とあるが、このページと同じ第五章の冒頭にも、「はじめに」の冒頭にも、第一章の冒頭にも、東郷平八郎は登場しない。
 104ページ、「憲法改正教育基本法の改正それらの議論が次第に声高く云われるようになってきた。」とし、改正後の内容につき想像を膨らませている。著者が「はじめに」を書いたのは7ページによると「平成十八年十二月」とのことである。つまり少なくとも平成18年12月1日までは本書の原稿は著者の手元にあったことになる。ならば教育基本法に関しては、参院本会議の採決による12月15日の改正法案の成立は知らなかったとしても、11月16日の衆院本会議の採決は知れたはずだ。想像を基にした104ページの原稿がそれ以前に書かれていたとしても、折角の書き下ろしなのだから、加筆修正ぐらいすべきであろう。
 131ページから始まる話では、「老記者」が著者に「あの有名なソ連バルチック艦隊対馬海峡で迎え撃った戦いだ。」(138ページ)だの「日本海海戦で勝利した日本は樺太と千島を手に入れて、」(141ページ)だのと、無茶苦茶な発言をしている。著者はこれにつき何のコメントもしていないが、他のページにおける著者の知識の量から推測するに、著者自身も間違いに気付いていない可能性が高い。
 本書がほとんど話題にならなかったという事実は、『国家の品格』を嫌っていた人の多くがその内容を理解した上で嫌っていた事の一つの証左であり、日本の名誉である。
 『国家の品格』の内容が難解で全然理解出来なかったがそういう題名の本が発売された事が何となく気に食わないという人にだけ、本書を薦めたい。