もっと海に着目しましょうよ、網野善彦先生。

 網野善彦著『「日本」とは何か』(講談社・2000)の92ページに、紀淑光という参議が「日本」という国号の由来を『日本書紀』の講師に質問したという話が登場する。講師は最初は『隋書』東夷伝の「日出づる処の天子」を引用するが、この国から見れば太陽は国の中から出ないという再度の質問に対し、唐から見て東だからと答えたそうである。
 著者はこの講師の最終見解をほぼ全面的に採用してしまったらしく、「このように、この国号は「日本」という文字に則してみれば、けっして特定の地名でも、王朝の創始者の姓でもなく、東の方向をさす意味であり、しかも中国大陸に視点を置いた国名であることは間違いない。」と書いている。
 果たして本当に「間違いない」と言い切れるだろうか?
 遣隋使が持参した国書において、「日出づる処の天子」は「日没する処の天子」との対比で登場している。「日没する処の天子」とは隋の煬帝である。よって「日出づる処の天子」という表現の「視点」は、東シナ海上か黄海上に置かれていると見做すのが公平であろう。
 その講師が「唐から見て」と決め付けてしまったのは、陸地にしか視点を置けない人物だったからであろう。
 著者はしばしば海を軽視する権力者や歴史家の思考を批判しているが、ここでは彼等の思考法を無批判に採用している様に見える。
 また「日出づる処の天子」という表現と無関係に「日本」(≒東)という国号を考えるならば、確かに中国大陸に中央としての視点が与えられていた可能性も出てくる。
 だがこの場合は同時に、天竺なり須弥山なりが視点であった可能性も出てくる。仏教の伝来は日本という国号の成立よりも早いのだから。
 同書の20ページでは、著者は「日本」という国号の成立は研究者の間では概ね七世紀を遡らないとしている。この折角の知見が、単に三流保守を批判するためだけに使われて、肝心な所で機能しないというのは、残念でならない。
 私は、日本史を考える際に海に着目するという発想も、「日本」という国号の成立時期を念頭に置けという教訓も、網野氏の著作群から学んだ。本日こうして氏の勇み足を批判出来たのも、氏の御蔭であると思う。私は今、感謝もしているし、物悲しい気持ちも味わっている。
 似た様な例として、岡倉登志著『「野蛮」の発見』(講談社・1990)というヨーロッパ中心主義批判の書籍も紹介したい。
 この本の103ページには「オリエントの語は、ラテン語のOriens「日の出ずるところ=東方」に由来し、オクシデントOccident「日の没するところ=西方」に対照するもので、もちろん、ヨーロッパから見ての呼称である。」とある。オリエントとオクシデントとが対照でオリエントがヨーロッパから見ての呼称だというのなら、必然的にオクシデントはヨーロッパの西方にあることになってしまう。実際は、それぞれボスボラス海峡から見て西か東かの呼称である。
 網野氏も岡倉氏も、日本の狂信的国粋主義なりヨーロッパ中心主義なりを弱体化させて理不尽な差別を無くしたいという使命感に燃え過ぎて、眼が曇ってしまったのであろう。

日本とは何か  日本の歴史〈00〉

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「野蛮」の発見―西欧近代のみたアフリカ (講談社現代新書)

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