「日本」はどこから見て「東」なのか? 今度は陸に注目して考えた。

 「日本」とは、「東」をイメージする言葉である。この単語が国号として採用された時、それはどこから見て東だったのかについて、以前考えた事がある。
 網野善彦氏は「唐から見て東」という態度であったが、私は網野氏から学んだ発想法を応用して、「黄海から見て東なのかもしれないし、須弥山から見て東なのかもしれない」という反論を思いつき、このブログでその見解を発表した(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100313/1268482953)。
 だが最近、今度は「陸」に注目して新説を思いついた。
 日本史では「東漢氏」と書いて「やまとのあやうじ」と読む氏族が登場する。また「西漢氏」と書いて「かわちのあやうじ」と読む氏族も登場する。
 「東」を「やまと」と読む時、その対義語としての「西」は「かわち」だったのである。
 そもそも「やまと」には、王朝の創業がなされた頃の狭い地域を指す意味と、その王朝が周辺を征服した後の領域全体を指す意味とがある。これは中国の「周」や「漢」等の王朝においても見られた現象である。
 大和政権が「日本」を名乗った時、確かに上述の三説の様に「列島の外のどこかから見て東」という発想があった可能性は高いが、一方で「我々はカワチではなくヤマトであり、ヤマトといえば東であり、東といえば日本だ。」という弱小勢力時代の古い観念の残存が理由でそう名乗った可能性も多分にあるだろう。
 そこで私は第四の説として、「日本は生駒山から見て東」という説を提案する。
 余談になるが、「やまと」のもう一つの意味に気付けた原因の一つに、大和三山に登った経験(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120322/1332343944)があると思う。
 あの日は、寄り道をしたり道に迷ったりしたのに、徒歩の移動だけでかの有名な「大和三山」を数時間以内に登ってしまったのである。「やまと」とは、その程度の範囲から始まったのである。

日本とは何か  日本の歴史〈00〉

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