鄭飛石著『項羽と劉邦』を読んでから考えた事

小説 項羽と劉邦〈上巻〉

小説 項羽と劉邦〈上巻〉

小説 項羽と劉邦〈下巻〉

小説 項羽と劉邦〈下巻〉

 以前読んだ鄭飛石著『三国志』が史実を大胆に無視する作風であったので、著者を同じくする『項羽と劉邦』は単なる娯楽として読み始めたのだが、意外にも面白い観点を学べた。
 趙の救援に成功した後の項籍軍が、友軍から補給を得られる状態になっても、北方の主食に慣れない兵士達を抱えているために、楚からの補給を渇望するという場面があったのである。
 こうした観点を思いついた歴史家はおそらく過去にも多数いたとは思うが、論文や書籍の形では登場しにくい発想であるためか、少なくとも今までは私の目に触れる事は無かった。
 歴史書を読める年齢になるとつい歴史小説を軽視しがちになるが、発想の柔軟さを維持するためにもやはり少しは触れていた方が良いと、改めて思った次第である。
 さて、その後私はこの観点から種々の考察を行った。その結果、「劉邦は単なる別働隊ではなく、最初から秦攻めを命じられた作戦のキモなのだ。(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090219/1235054098より)」というT_S氏の見解に一層強く賛同するようになった。
 宋義軍は、仮に大勝利しても、既に北方には復活した旧勢力が割拠しているので、さして広い領土は得られそうにない。一方劉邦軍は、仮に完全勝利に失敗しても、優勢でさえあれば、それだけ楚の領土は広がるのである。と、ここまでは以前から考えていた事である。
 本日気付いたのは、宋義軍が仮に幾許かの楚領を獲得出来たとしても、その地の生産物は楚人の腹を満たさない事である。
 してみると、宋義が息子の宋襄を斉の宰相にしようとした事も、懐王の了承の範囲内であった可能性が高くなる。少なくとも秦を滅ぼすまでは、北方は無理に大量の兵士を損なってまで直轄領を微増させるよりも、大軍を温存してその威によって徐々に旧勢力を服属させる方が良いからだ。劉邦が項籍の十の罪の一つに宋義暗殺を堂々と挙げているのも、宋義は殺されて当然の事をしたと思っていた人が当時少なかった事の一つの証拠である。
 秦の敗色が濃厚となった際に趙高が劉邦に対してのみ和平交渉をしたのも、函谷関での持久戦に全力を傾けさえすれば項籍軍は食糧問題から自然に雲散霧消するという読みがあったからなのかもしれない。
 以前私は、趙高の関中分割案を「強気の交渉」と評価したが(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090729/1248816945)、北方への領土的野心の薄い懐王の戦略から判断すれば、それなりに現実味のある提案であったとも言えそうである。
 そしてまた、折角咸陽を征服した劉邦が大人しく漢王になったのも、折角咸陽を奪った項籍が西楚覇王になったのも、単なる英断としての妥協や故郷に錦を飾りたいがための大失敗という評価で片付けられるものではなく、二人ともまずは即刻南方に領土を得なければ話にならない様な軍を率いていたが故の行動なのかもしれない。
小説 三国志〈上巻〉

小説 三国志〈上巻〉