呪い歌としての『君が代』

 日本の中世の初期には、「百王説」という世界観が流行したらしい。これは、天皇家が百代までしか続かないという思想である。
 中華の諸王朝が長いものでもその半分の数の元首すら輩出出来なかった事を考えれば、当初は寧ろ尊皇的な世界観ですらあったかもしれない。
 しかし、実際に約百代続いた際には足利義満の簒奪計画を後押しした、とみる人も多い。
 さて、近年法律で正式に国歌になった『君が代』の歌詞には、「まで」とはっきり書かれている。
 細石が地下の高熱で巌になって、それが地上に露出した後で苔が生すという現象は、既に数え切れない程起きている筈である。金をかければ短期間で人工的に成し遂げられそうでもある。よってこの歌詞は「天皇家は八千代(または九千代)までしか続かないぞ!」と言っている様なものだという事になる。
 法制化に尽力した保守派の議員達は、「どうせ天皇家なんて、長く続いたとしてもせいぜい七千数百代位までだろう。別にそれで構わんさ。」と思っていたのであろう。
 だが天皇家の永続もしくは九千一代以降における終焉を熱望しているものにとっては、『君が代』はおぞましい呪い歌の筈である。
 『君が代』を歌いたくないという人や教え子に歌わせたくないという人は、「自分は天皇制に賛成だから。」という論法を用いる形式の抵抗も思案の内に入れておくと良いかと思われる。
 余談だが、「天皇陛下万歳!」とは、「自分は今上天皇陛下の寿命が一万年であれば良いと思っている。」という意味である。医療が余程発達したり地球の公転周期が過度に短くなったりすれば、これも悪口になるかもしれない。
 それは冗談としても、「X万歳!」と叫ぶ前に、その対象が常識的には一万年以上続かないものであるか否かをまず考慮する程度の慎重さは欲しいものである。私は、「地球ばんざい」等の文言に触れると、かなり強い違和感を覚える。

君が代

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