私が随分前に新聞を取らなくなった理由

はじめに
 私は当ブログで何度か新聞記事に触れる内容の文章を書いてきた。引用する新聞は朝日から産経まで多種多様であった。まさかとは思うが、ひょっとしたら読者の皆様の何人かは、私が複数の新聞を読み比べている知識人だと誤解してくれていたかもしれない。
 だが実際の所、私はもうずっと新聞の配達を断っている。このブログを始める前から定期購読というものをしていない。
 今までここで引用した新聞は全て、逗留先で読んだものだったり、見本として無料で送られてきたものであったり、外で適当に買った後に捨てるのを忘れたものであったりしたものである。
 「新聞を定期購読していない人」は、私がその一員に加わった頃と比べて随分増えてきた気もするが、まだまだ世間の風当たりは強い。
 しかもその「風」がほとんどいつも同じ方向から吹いてくる。大抵は「(テレビによる)(若者の)活字離れの一環」だと決め付けてくるのである。最近漸く「ネットが真実だと思い込んでいる(若者)に違いない!」というタイプの風が加わって、ほんの少しだけ批判が多様化した。
 だが私は全く別の理由から定期購読をやめた人間である。
 過去、私と同じ理由でやめたと叫んでいる人を見た事が無いので、単なる特殊例かもしれない。あるいは敢えて言うまでもないから言わないでいるだけで、実は大量の同志がいるのかもしれない。
 取り敢えず私の事情を書いてみれば何かしらのリアクションが得られるかもしれないという期待が半分、「こういう人もいるのだ」という情報が誰かの商売の役に立てば幸いという義侠心が半分で、以下に私が新聞を取らなくなった経緯を書いてみる。
 例によって個人情報保護のため、話題の本質ではない部分において、若干のフィクションを交えた。
その1 購読契約後の頻繁な交渉の煩わしさ(T区の思い出)
 以前私は頻繁に引っ越しをしていたのだが、或る時、かなり質の悪い配達屋のいるT区に住む事になった。休刊日ではない筈なのに、新聞が届かない日が実に多かった。その度毎に、私の方から電話代を払って(そして実質的には事務員としての私自身の人件費を肩代わりして)、業者と交渉しなければならなかった。朝早く出かけた日や旅行中等に起きた未配については、そもそも手遅れだから後で値切りという形で集金員と交渉しなければならなかった。
 営業の仕事についている友人は、一日に何人かの相手と交渉するだけで約一万円を得ていた。しかもその相手は、ある程度の顔見知りである事がほとんどであった。一方で一体何故私が、本来自分のものであるたかが百円のために見ず知らずの連中と交渉しなければならないのかと思い、悔しくて仕方が無かった。しかし泣き寝入りした月はもっと悔しかった。
 何ヶ月か経過して、やっと毎日一部づつばらで買えば良い事に気付いた。買う必要の無い日は買わなくて良いのだから、仮に毎日絶対正確に届く宅配があったとしても、やはりこの方が結果的に安いのである。
 この単純な真理に気付かせてくれたT区の不良業者には、今では感謝している。
その2 割引き詐欺師達(S区の思い出)
 新聞の宅配の契約をしないという習慣を持ったまま、私はS区に引っ越した。
 この地は、業者間の競争が激しい地であった。引っ越した途端、様々な業者が様々な新聞の購読を私に迫ってきた。
 そんな中、「無料です!」と言ってきた業者がいた。人の好い私はすっかり信じた。「購読料を犠牲にしてでも部数を維持し、広告料で稼ごうという魂胆だな。」と都合良く解釈した。そして三ヶ月の契約を結んだ所、一ヶ月後、結局集金人がやってきた。
 話を聞いてみると、宅配業者には少なくとも直接的な悪意は無かったらしい。勧誘をしているのは出来高制で雇っている外部の人間であり、その連中は目先の業績のために無料であるという嘘を吐いて契約を結ぶ事もあるらしい。だがそんな連中を野放しにする様な制度に頼り続けている連中も、やはり御世辞にも堅気とは言えまい。
 取り敢えず、一ヶ月読んでしまったのは事実であるから、その一ヶ月分は金を払う事にした。そして残りの二ヶ月分は、契約を無効にするという形で妥協が成立した。
 こうしてますます新聞の宅配が嫌いになった。 
その3 取らぬと決めると強引な勧誘員がどんどん嫌いになった。
 新聞を定期購読していた頃は、勧誘員がほとんど来なかった。来ても「他紙を読んでますので。」と言えばそれで済む事が多かった。
 だが「決して取らぬ!」と決めると、勧誘員が大量に来るようになった。「要りません。」と言うだけでも面倒なのに、そう伝達した後でも交渉を続けようとする連中が多く、交渉の都度、新聞の宅配への嫌悪感が増していった。
 こうなると、意地でもこの連中からは新聞を買いたくなくなった。新聞がどれだけ重要かとか、どの新聞の社説が自分の意見に近いかとか、段々どうでもよくなった。
おわりに 私はやはり少数派なのかと自問する日々
 T区での生活が原因で「取らない」と決めた途端に、芋蔓式に宅配制度の黒い部分を次々と見せつけられ、私はどんどんそこから離れて行った。T区に引っ越さなければ、今でも毎朝新聞を届けて貰っていたであろう。そう考えると、私の予備軍的存在は潜在的にはかなり多いのかもしれない。
 しかし一方で、私を含めた一部の人間に猛烈な嫌悪感を抱かせる詐欺や強引な勧誘が根強く続いているという事は、そういった活動を野放しにする方が儲かるのかもしれない。例えば、強引な勧誘員が嫌いだからこそ長期契約を結んでしまおうとする人も多数いるのかもしれない。そう考えると私はやはり少数派なのかもしれない。