『忘却の旋律』全話視聴計画(第3〜5話)

第3話 白夜岬
 「物知りの女性」との面会を求めてボッカ・小夜子がやってきたのは、何故か永遠に白夜が続く観光地「白夜岬」。
 「物知りの女性」とは観光協会の理事長であり、彼女からは二十世紀戦争の時にモンスターが怖れた場所「旋律劇場」に忘却の旋律がいるのではないかという情報が手に入る。
 ここでは灯台の光が赤くなると、ひよこ型のロボット怪獣「ラ・ピオ」に子供達が襲われる事になっている。これはモンスターへ差し出す税を確保するための作業である。
 大人達はこの制度を承認しており、灯台が赤くなると自分の子供を外に出さないように努力する。何らかの偶然で赤灯台の日に外に出てしまった子の親だけが、前回の市長の様に急に反モンスター派になり、無駄な抵抗を行う。
 「キュウちゃん」と呼ばれる少女は、自分だけは襲われないという確信があったため、通称が「わかだん」である恋人と屋外で会おうとする。そこへラ・ピオが襲いかかる。ボッカ・小夜子の活躍によりキュウちゃんは怪我だけで済む。
 キュウちゃんの姉である浜崎けい子は、表向きはキュウちゃんを気遣って怪我の手当てをしたりするのだが、傷が沁みてキュウちゃんが痛がってもそれに全く気付かない。
 実は彼女はモンスターの代官的存在である「モンスターユニオン」のエージェントだったのである。
第4話 モンスターユニオン
 小夜子からボッカは、ロボット怪獣とはモンスターユニオンのエージェントが搭乗するものである事を聞かされる。また小夜子はモンスターユニオンと戦う事に余り意味を見出していない。
 今回は岬と浜崎一家の歴史が明かされる。
 けい子もキュウちゃんも、後継者の男子を欲しがっていた両親からは全く期待されていない存在だった。ケイ子が学年で一番の成績を出すと、婿取り娘としてそれなりに期待され始める。そんな彼女が愛していたのは隣の旅館の跡取りのわかだんであったが、わかだんはキュウちゃんに取られてしまう。けい子が高校を卒業する頃、温泉街の温泉がインチキであったことがばれてしまい、温泉街の存続は危うくなる。
 全てを失ったけい子は自殺を決意し、まずは人生を共に過ごしてきた人形を川に捨てる。その後自分も死ぬため、岬の突端に立ち、「私とは関係なく幸せそうな、この綺麗な海が厭!私とは関係なく幸せそうな、この綺麗な雲が厭!私とは関係なく幸せそうな、この綺麗な青空が厭!もう二度と朝なんか来なければ良いのに!」と叫ぶ。その瞬間、モンスターがけい子の分身的存在である人形に手を差し伸べ、けい子には温泉街を永遠に白夜の状態にしておく力が分け与えられ、エージェント「ミッドナイトひよこ」となる。
 こうして観光の目玉が出来た事により、温泉街は復活する。対価は、親の命令を聞かずに赤灯台の日に外に出てしまった子供の命だけである。これが三年前の話である。
 前回のオーディオコメンタリーでは、けい子の設定年齢は十八歳だった筈である。高校卒業が三年前という事は、モンスターユニオンのエージェントになると年を取らなくなるのだろうか?
 ここで面白いのが、この話の放送が行われた直後に、長野県白骨温泉の偽装問題が発覚し、全国的に問題視された事である。第2話で紹介した狂牛病問題の酷似と並んで、怖ろしい程の偶然である。
第5話 君に届く声
 長女として期待されてきたけい子はキュウちゃんを逆恨みし、期待されてこなかったキュウちゃんはけい子を逆恨みしていた。
 期待される姉(兄)と期待されない妹(弟)という関係は、第1話の芹名家にもあった。そしてやがて明らかになるのだが、実は小夜子もそうした関係を引き摺っているのである。
 ミッドナイトひよこは、ボッカとの戦いの中で「お前みたいなのがいるから、私に影が出来るんだ!」と叫んでいる。メロスの戦士もモンスターユニオンのエージェントも、共に優秀でモンスターを直視出来る存在である。両者は光と影の関係にある。支配を担うエリート官僚と、支配に立ち向かう人々を率いる革命家とが、似た出自と能力を持っている事は多い。
 ボッカの矢がラ・ピオの脳天に刺さると、それがまるで鶏冠の様に立つ。こうしてひよこ型ロボット怪獣は鶏の様な外見となり、「コケコッコー」という断末魔の声を挙げる。この声で白夜は終わり、真の夜明けが来る。
 これは、敗北によってけい子がエージェントとしての力を失った事を示すと同時に、けい子が真の意味で「大人」になった事を示している。
 観光資源を失った温泉街の関係者達は、ボッカに石と罵声を投げる。
 罵声の中には、「自分さえ良ければ良いのか!」というものもある。自分の身勝手さには気付いていない人物の身勝手な発言だが、そうそう無視出来ない真理も含んでいる。現実世界でも、犠牲を伴う自動車の存在が民主的な判断によって許され、犠牲以上の豊かさを人々は享受している。この交通システムを交通事故の犠牲者の遺族や同情者が破壊しようと企めば、やはり周囲からは身勝手と言われるだろう。
 ボッカはさっさとアイバーマシンに乗って去れる状況で、敢えてゆっくり歩いて石と罵声を浴び続ける。そして犠牲を伴う繁栄を謳歌している人からは嫌われるメロスの戦士という立場について考え続ける。
 メロスの戦士は果たして正義なのだろうか?これは「最大多数の最大幸福」という倫理への問いでもあり、その倫理と強く繋がっている「民主制」という制度への問いでもある。