『忘却の旋律』全話視聴計画(第24話・後記)

第24話 それでも旅立つ君の朝
 大地に降りたボッカをソロが迎えに来る。ソロはボッカを美少女牧場に連れて行く。そこではかつてなら「モンスターの生贄」と呼ばれていた筈の立場の少女達が、「ピー」という名前で飼育されていた。彼女達はエリート意識を持たされているため自発的にモンスターの犠牲者となり、死の直前まで恐怖を感じない。
 こういう施設を密かに完成させたからこそ、モンスター達はモンスターユニオンの重要施設やエージェント達が各個撃破されていっても危機感を抱かなかったのであろう。
 それどころか、ボッカ達の活動自体が支配の形態をより高度なものにするためのリストラの一環として黙認されていたものである可能性も高い。各施設がメロスの戦士に狙われている事が判った後も援軍らしい援軍が決して来なかったのは、メロスの戦士達とモンスターユニオンとが丁度引き分ける事を望むモンスターキングによる調整だったのだろう。
 そう考えると、メロスとしての経験の浅いボッカをメデューサが敢えて始末しなかった理由や、連絡役のアルコトナイコトインコがエージェント達を挑発して敢えて無謀な戦いを行わせた理由等についても、全て説明がつく。
 ソロが作ったこの幸福な新システムでも、死の直前のピーが苦痛や後悔を味わう事に変わりはない。ボッカはそれを根拠に戦いを続けるが、モンスターキングとしての正体を明かしたソロに「誰だって死ぬ時は怖ろしいさ。」と一蹴される。これへのボッカからの再反論は到頭無かった。悪く言えば、自分が奉じる宗教的ドグマによって世の秩序を乱しているだけである。良く言えば、他の言葉を以てしては決して定義出来ない人間の尊厳を守るため、根源的な違和感の要請に従って体制に反旗を翻しているのである。
 最終決戦でボッカは捕らわれていた小夜子を助け、ソロに一矢報いる事にも成功する。ここでのソロの生死は不明だが、二十一世紀戦争が起きた形跡は無いので、おそらく生きていると思われる。
 そして舞台はボッカが最初に暮らしていた町に戻る。かつてのボッカの様に現実の弓矢にこだわる一人の生徒がボッカの元担任に怒られていたり、モンスターの要求に応じて市長が捕えていた生贄を差し出したりと、一見すると第1話から何も変わっていない世界がそこにある。しかし担任の権威が微妙に低下していたり、モンスターをもてなす秘書がいなかったり、生贄の「エム」がケイやエルとは違って自発的に一生懸命逃げようと努力したりと、ほんの少しだけそこに生きる人々は自発的になっている。
後記
 この全話視聴計画は、『忘却の旋律』を広く紹介するために書いたものである。
 しかし解釈を深くし過ぎてしまったかもしれないという反省もある。政治思想や倫理思想を学んだり、画面の片隅に置かれた商品に書かれた表示まで読み込んだりしなければ楽しめない作品だと誤解させ、却って敷居を高くしてしまったかもしれない。
 恋愛部分や戦闘部分だけでも十分楽しめる作品なので、興味を持たれた方には是非一度気軽に視聴してみて欲しい。