「朝敵」という表現について

 『南総里見八犬伝』第六輯巻之五下冊では、犬飼現八と犬村角太郎(後の犬村大角)とが「朝敵」という表現について論じている。
 岩波文庫の『南総里見八犬伝(三)』の415ページからこれについての角太郎の見解を以下に引用する。因みに現八も賛同した見解である。
「凡国家の臣民たるもの、大逆の罪あるときは、是則国賊なり。唐山の史伝には、これらを賊と書したり。然るを朝敵といふて可ならん乎。敵は字書に、音狄、俗字なり。敵赦は小児の喜びて、笑う貌と註したり。又彼国の俗語に敵手といふは、此土にて相手といふにおなじ。甲乙を争ふもの、迭にこれを敵といふ。大逆の罪人を、朝敵といふときは、朝廷の敵手といふにおなじ。記者の文盲笑ふべし。憶ふに清盛・頼朝より、尊氏将軍に至るまで、朝家を蔑して、自家を営み、兵権を擅にして、宇内を制し給ひしかば、順逆の理に暗きものゝ、しか唱初たるにや。さらずは記者の当時に媚て、作出せし俗称ならめ。」
 本来「敵」という字は匹敵する相手に使うものであり、朝廷に背いた国賊を「朝敵」と呼ぶのは、朝廷蔑視の風潮に媚びた表現である、と角太郎は主張しているのである。
 つまり「国賊」を「朝敵」と呼ぶのは、現代に例えるならば、内乱罪を犯した犯罪者集団の力量や正当性を一定程度認めて彼等を交戦団体として承認するのに似ているのである。
 単に古めかしい表現が好きだという理由から「誰某は朝敵だ!」という言い回しを好んでいる人々には、この角太郎の主張を教えてやりたいものである。
 余談だが、江戸時代の人である滝沢馬琴が角太郎に上述の主張をさせた事を、「現在の価値観で過去を裁くな」論の原理主義者達がどう裁くかについても興味がある。
 中世という多元的秩序の中で自然発生した表現を、近世という秩序の一元化が進みつつあった時代の価値観で裁いているので、馬琴を悪と見做すのだろうか?それとも「現在の価値観で過去を裁くな」論は江戸時代にはまだ成熟していなかったとして、現在の価値観で馬琴を断罪するのを自制するのであろうか?

南総里見八犬伝〈3〉 (岩波文庫)

南総里見八犬伝〈3〉 (岩波文庫)