レンタルDVDで『アイ・アム・レジェンド』を観た。
原作の小説は、人類の大半が吸血鬼になった世界では、彼等と戦っている旧人類たる主人公こそが怪物的存在であったという話である。
自分の正義を疑い相手の視点も理解しようと努める事は、民族的憎悪等の問題を少しは解決の方向に導く鍵となると、私は思っている。
そうした原作のメッセージ性については後述する様にハリウッドムービーには初めから大して期待していなかったのだが、これはそれ以前の出来であった。
主人公とその飼い犬に対し、病気で日光が苦手になった異形人間の側が同じ病気の犬をけしかけるシーンがある。ビルの影の範囲内までは異形の側は自由に移動出来るのだが、陽射しがあると移動出来ない。迫り来る日没を強調して視聴者を興奮させる仕組みになっている。しかし冷静な視聴者は気付いてしまうだろう。犬を調教出来る程度の知能を持つ連中ならば、日光を遮断するための服や傘ぐらい活用出来るはずだと。
そしてラストは、折角治療薬を開発した主人公に対して聞き分けの無い異形の側が無謀な突撃を仕掛けて殺してしまうという内容になっていた。これはまあ想定の範囲内であるし、特に不満も無い。中途半端に高尚なメッセージを入れて娯楽を求める観客やアメリカの狂信的愛国者にそっぽを向かれるよりは、沈思黙考を要求する原作の知名度を高めてくれる方が余程世界平和に資するであろう。
なお、ほんの少し高尚めかした「もう一つのラスト」もネット上で公開されている。主人公の人体実験を非難し、「治す」という発想の傲慢さを糾弾している。公開版より知能の高い異形集団の頭目は、実験台にされていた恋人を救うと主人公への復讐もせずに部下を連れて帰還する。こちらのバージョンを評価する声もあるらしいが、恋人一人を奪還するために大勢の部下を死なせた究極のエゴイストが主人公のエゴを糾弾するという図式は、受け入れ難い。
ちなみに特典映像の作品の一つである『シェルター』は、価値・立場・視点の逆転を見事に描いていた。
さて、ここからがようやく今日の本題である。
民話の頃から続く「夜に強い異形」という設定は、かつては確かに人類の対称的存在を創作する手法として有効であったが、もう古過ぎるのではないか?生活のリズムが乱れがちな私は、ふとそう思った。
文明は既に夜を征服した。そしてその文明が生み出した(という説が有力な)オゾンホールの拡大が続けば、既存の人類もかつて自らが描いたヴァンパイアの様に日光を避けて暮らす事になるだろう。
新たな形式の価値逆転作品として、昼間だけ強いミュータントとの戦いを描く作品を待望したい。勿論これは、大昔に行われていた人類対動物の戦いの逆転劇である。いっそ知能も敵の方が上であれば尚一層面白いだろう。
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