昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120601/1338555846)の続き。
『三国志』劉曄伝によれば、曹叡は曹騰の父である曹萌(または曹節)にも帝号を贈ろうとして、詔を下している。その詔の中には「高皇」という単語も登場しているので、確実に太和三年四月以降の詔である。そしてこの詔の最後は、「どんな諡号が良いか議論せよ。」という意味の文で終わっている。
これは一見すると奇妙な話である。本当に曹萌をも大切に思っていたのならば、太和三年四月の時点で曹萌にこそ「高皇帝」を贈り、曹騰には別の帝号を贈るべきであった。既に「高皇帝」と「太皇帝」が使用済みになった以上、そのまた先代に相応しい帝号を考えろという命令は、無理難題に近い。
そして劉曄・衛臻がこの詔に抗議すると、この件は特に問題も無く沙汰止みになっている。この事から、曹叡が事前の根回しを行っておらず、また特に熱意も無かった事が判る。
ここで私が思い出したのが推理小説の『ABC殺人事件』である。この作品の真犯人の目的は、Cで始まる名の町に住むCで始まる名の人物を殺す事にあった。そこでこれを単なる儀式殺人に見せかけるため、Aで始まる名の町に住むAで始まる名の人物と、Bで始まる名の町に住むBで始まる名の人物をも先に殺していた。しかも、Cで止めると疑われるのでDにも挑戦するのだが、Dに関しては仕事がかなり御粗末であった。
曹叡もまた、曹騰に帝号を追贈して当初の目標を達成したものの、そこで止めてしまっては疑われるため、無理を承知で大々的に詔勅によって「御先祖様大好き!」という偽の動機をアピールしたのではあるまいか?
これで曹騰を高皇帝にした真の動機は見抜かれにくくなり、副産物として孝行者であるという評判も立つ。そしてあわよくば臣下がこの詔に抗議してくれれば、さっさと中止する事で、臣下の反対意見をよく聞き入れる皇帝だという評判も立ち、しかも自分が五代皇帝から六代皇帝になるという代償も払わずに済むのである。
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